第55代横綱の北の湖敏満(1953~2015)の本名は、小畑敏満と言います。「北の湖」と名づけたのは、北の湖が中学1年生のときに、その家を訪れた三保ヶ関親方(本名・沢田国秋(1919~1985)。しこ名は増位山(ますいやま))です。北の湖の出身地・北海道にある「昭和新山か洞爺湖にちなんで「湖」を付けたいが、「北の湖(みずうみ)」では四股名にもならん」と悩んだそうですが、たまたま福岡の街なかで見かけた「湖(うみ)の琴」(1966年、東映)という映画の看板を見て「ほう、湖は、うみとも読めるのか」と思い、「北の湖=きたのうみ」というしこ名となったそうです(以上、石井(1993、p.150))。序二段(序の口の上)という地位のとき、呼び出しも行司も「きたのみずうみ」と発音したという話も同書には記されています。この逸話からわかるのは、しこ名として、「~の山」(千代の山、朝乃山etc.)、「~の海」(三重ノ海、隠岐の海etc.)という形のものが一般的であることを前提として、「の」の後ろが「みずうみ」では長く、「こ」では短すぎて、語調がよくないということが親方の頭の中で意識されていたであろうということです。なお、「増位山」「豊山(ゆたかやま)」などの場合、「の」が入ると、全体として6拍になり、落ち着きが悪く感じられるため、「の」を介さないしこ名のほうが都合がよいようです。
以下、「北の湖」の「北」のように「の」の前に来る要素を「甲」と呼び、「湖」のように後ろに来る要素を「乙」と呼びます。全体としては「甲の乙」となります。この形式を持つ名詞について、その詳細を探ります。
普通名詞の場合における「甲の乙」という形の語を探してみると、「きのこ」「床の間」「へその緒」など、いろいろな語があります。以前、国語辞典から集めた196語(句の「蛇の道は蛇」などは除いてあります)を使って、その特徴を考えます。それというのも、いわゆる「電子書籍」が出てきたことにより、従来の紙でできた本を呼ぶのに「紙の本」という言い方が行われるようになり、また、時々「紙本(かみぼん)」という言い方を見たり聞いたりすることがでてきたことを考えると、日本語の使い方として、「甲の乙」という形で新しい言い方が生まれ、よく使われるうちに「甲乙」の形でも意味が通じるという流れで造語が行われることがありそうだと思ったからです。「甲の乙」と「甲乙」が時を同じくして生まれ、時間がたつうちにどちらか一方だけが残る、あるいは、両者に意味・用法の使い分けが生じる、ということもあるかもしれません。このようなことを考えるために、以下では、すでにある「甲の乙」という形の語について、拍数の内訳はどうなっているのか、「甲乙」の語があるか否かということを確かめることとします。
拍数は、196語のうち「木の葉」など3拍語が23(11.7%)、「奥の手」など4拍語が64(32.7%)、「腹の虫」など5拍語が67(34.2%)、「台風の目」など6拍語が23(11.7%)、「秋の七草」など7拍語が11(5.6%)、「万里の長城」など8拍語が4(2%)、「勤労感謝の日」など9拍語が3(1.5%)あり、「弁慶の泣きどころ」が唯一の10拍語となっています。「の」の前後に最低でも1拍ずつ必要であるため、1拍語、2拍語は原理的にありえません。4拍語と5拍語は、わずかな差ではありますが、5拍語が最も数の多いものとなり、「甲の乙」と言えば、5拍のものが代表的と捉えてよいでしょう。さらに、全体として5拍である67語のうち、「火の車」のように、前項が1拍のもの(後項が3拍)は5語(7.5%)、「馬の骨」など2拍のものは58語(86.6%)、「みどりの日」など3拍のもの(後項が1拍)は4語(6%)となり、圧倒的に「2拍+の+2拍」のタイプが多いことがわかります。
次にこの67語を語種の面から区別すると、「波の花」「山の幸」のように前後に和語が用いられるものが38語(56.7%)、「案の定」のように前後ともに漢語のものは「案の定」の1語のみ、「年の功」「道の駅」のように前が和語、後ろが漢語というものが7語(10.4%)、「縁の下」「香の物」のように前が漢語、後ろが和語のものが12語(17.9%)という内訳になり、半数以上が「和語+の+和語」タイプです。和語の持つ柔らかい音感が生きます。以上のことから、前述の「北の湖」の場合、拍数と語種については、最も一般的つまり「2拍の和語+の+2拍の和語」という構成からできているため、「きたのみずうみ」「きたのこ」よりも、しこ名として理にかないます。
3拍、4拍は、「の」を介さない単語が数多く存在する拍数であるため、「きのえ」「きのと」や「かずのこ」「もののふ」などに対して、助詞の「の」が含まれているとは感じない人もいることでしょう。「たけのこは竹の子と書くように」といった語源意識を(学習して)持つかどうかは個人ごとに異なります。
3拍の語の場合、「鹿の子」「血の気」「火の気」「魔の手」には、それぞれ「鹿子(かこ)」「血気」「火気」「魔手」という、同じ漢字を使う2字の熟語が存在します。「鹿子」のみが和語であり、ほかは二字漢語です。語の特定がしにくいためか、「鹿子」は「鹿の子」よりも一般性が下がり、小型の辞書には載っていないこともあります。「血の気の多い」「血気盛ん」とは言っても「血の気盛ん」「血気の多い」とは言いにくく、「火気厳禁」「火の気のない」とは言っても「火気のない」「火の気厳禁」とは言いにくいなど、それぞれ語の意味はほとんど同じであっても、語の結びつきに偏りが見られます。一方、「魔の手」と「魔手」では、「~にかかる」「~が伸びる」など、語の結びつきにも、ほとんど違いが見られません。
4拍語にも、「網の目」「かぎの手」「ことのは」「下の句」「目の玉」「湯の花」に対する「網目」「かぎ手」「ことば」「下句」「目玉」「湯花」のように、意味を変えることなく、「甲の乙」と「甲乙」の型がいずれも使えるという場合があります(語感は異なる可能性があります)。ただし、「奥の手」と「奥手」、「手の甲」と「手甲・手っ甲」のように、互いに意味がまったく異なる場合もあります。
語源意識が薄れた結果、ことばづかいの面で何らかの動揺が生じることがあります。一つアクセントの例を挙げます。「いの一番」の「い」は「いろは」の最初という意味であり、イ\ノ・イチ\バンと発音します(\は音の下がり目)。ところが、「い=いろはの最初」という意識が薄れ、イノイチ\バンと発音される現象が起こりました。演芸評論家の江国滋(1934~1997)が石川(1976、p.150)の中で「武田のいの一番」(調味料)というCMで「いのいちばん」の発音が「胃の一番」と口にする場合と同じになっていることを指摘しています。
5拍が標準だとすると、6拍以上の語には、長いという感じが出る可能性があります。千葉県の人から聞いた話では、JRの「みどりの窓口」のことを地元では「みどまど」と略すことがあるそうです(地域差、個人差があるようなので、詳しくは要調査です)。一般的なものでは、「漁夫の利」「朝のシャンプー」に対する「漁利」「朝シャン」の例があります。「漁利」は辞書には載る語ですが、現代語で使われることはないようです。
「朝シャン」は、「朝のシャンプー」の略とする辞書と「シャン」のみが「シャンプー」の略であるとする辞書とに分かれます。「シャンプー」は「かみの毛を洗うときに使う、泡立ちのいい液体。また、それで洗うこと」(『三省堂国語辞典 第8版』)であり、その「シャンプー」を含む「朝シャン」にも洗髪剤のシャンプーを使って洗うことが当然に期待されますが、現実には、「シャンプー」なし、つまり「朝のシャワー」の意味で「朝シャン」を使っているという人もそれなりにいます。「朝シャワ」では言いにくいとの声もあります。シャンプーを使わずお湯のみで洗う「湯シャン」という言い方も使われています。このようなことを考慮に入れると、「シャンプー」の語釈は、「洗う」ことと「洗髪剤」のこととを分けて記述してもよいのかもしれません。『広辞苑 第7版』が「①頭髪を洗うこと。②洗髪剤。」というふうにブランチを分けて書いているのがその具体例です。「頭髪を洗うこと」であれば、水だけお湯だけという洗い方もカバーすることができます。
前項のみであとは察しがつくという場合は「さんずの川」を「さんず」と略すというようなことも行われます(細かいことを言えば、「さんず」で「川」の意味を含意するのであり、「さんずの川」の略語ではないという議論も可能です)。拍数にこだわらずに、確実に省略と言えるものとしては、しこ名の「稀勢の里」を「きせ」と呼ぶという例があります。この場合は、「きせ」だけで十分な意味を表すとは言えませんから、「稀勢の里」の略語とするよりほかありません。栃錦(1925~1990)と初代・若乃花(1928~2010)の活躍した、いわゆる栃若時代、アナウンサーは「とちよったわかのこった」(栃錦が攻め、若乃花がこらえる)などと言っていました。
以上の例を見渡してきた結論として、今後の和語による造語を考えるうえでは、まずは、「甲の乙」(全体で5拍、分解すると「2拍+の+2拍」、前後ともに和語)、という条件に合う言い方を作り、その後、「の」がなくとも、略語という感じがせずに正式な語として通用しそうであれば、その時、初めて「甲乙」の形で大々的に使うという道を探ってはどうかということを提案します。その際は、たとえば「耳の骨」を「耳骨」とすると、「みみぼね・みみほね・じこつ」のいずれなのか混乱するから「耳の骨」のままにしておくとか、「たけのこ」を「たけこ」とすると人の名前のようになるから「甲の乙」という言い方のままにしておこうとかいった知恵を働かせることが必要となります。何かとせっかちな現代社会においては、最初から「甲乙」形で音訓問わずに語を作ってしまえ、何なら略語を使えということになりがちですが、柔らかな音の響きというものを大事にするならば、100年後、200年後の日本語話者のことも考え、ゆっくり事を運ぶという考え方をすることが必要ではないかと考えます。
参考文献
石井代蔵(1993)『大相撲親方列伝』文芸春秋
石川弘義(1976)『日本人とことば』ぎょうせい
中川秀太
文学博士、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。