日本語クリニック

 「へえ」や「ふうん」など相づちを打つときに使うことばの一つに「なるほど」というものがあります。このことばは目上の人に使うのはよくないとされることがありますが、多くの国語辞典には、そのあたりについての説明がありません。注記のある辞書として、三省堂の『三省堂国語辞典 第8版』と『新明解国語辞典 第8版』とがあります。前者には「目上に失礼との意見があるが、昔から、目上・目下の区別なく使う」とあり、後者には「立場の上の人には用いない」とあり、どちらを信じるべきなのか悩むところです。ここでは、いったん目上かいなかという観点はさておき(友人どうしであっても、聞き手からの「なるほど」の連呼に対し、ちゃんと私(わたし)の話を聞いてくれているだろうかと不安に感じることはあります)、いずれにしても「なるほど」の使用に違和感を持つ感覚が現代人の心の中にあり、使用にあたっては、それ相応の注意が要ることについて詳細を見ていきます。

 まず前述の「昔から」という記述に、いくぶんかの留保が必要なことを確認します。昔とはいつのことを指すのでしょうか。たとえば夏目漱石の作品に目上の相手に「なるほど」を使った例があるとします。それは独り言のように用いた「なるほど」が図らずもそばにいる相手に聞こえてしまう、というような使い方ではないでしょうか。確実に受け答えに使われていると言える用例でしょうか。「○○先生がこうお話しになっていた。なるほど、これは~」というように、書きことばで目上の人が話したことを記し、それを「なるほど」で受けて話を展開するということはありますが、これは面と向かって「なるほど」を使っているわけではないので、目上の相手に使えるかどうかの議論からは外す必要があります。

 ある時代に用例があるということは確かであっても、当時の人がいかなる意識で使っていたのかは、なかなかわかりません。したがって、その時代の人の意識が記された資料が欲しくなるところです。「なるほど」について筆者は、作家の山口瞳(1926~1995)が1967年9月30日号の『週刊新潮』に記した次の指摘が、戦前に生まれた節度ある日本人の感覚を表すものとして信頼できると考えます。

ちかごろ不愉快なことのひとつは、取材にこられた若いジャーナリストが、しきりに、ナルホドナルホドと言って頷(うなず)くことである。こちらは変哲も無い意見を述べているにすぎないのに、ナルホドねえ、とやられるとがっかりする。ひどいときは、何も言ってないのに、うなずかれてしまう。なんだか馬鹿にされているような気分になる。「秋になって風が吹くでしょう」「なるほど」「それから、秋の長雨があるでしょう」「なるほど、なるほど……」「すると、急に寒くなりますね」「なるほどねえ、そうですか」実は、それから先に何か意見らしきものを言おうとしているのに、これでは厭(いや)になってしまう。例の、ドーモドーモと同じように使われているらしい。私の語感からすると、ナルホドはこんなふうではない。私が誰かと将棋を指していたとする。相手は私よりはるかに強い。中盤戦のむずかしいところで、よくわからないものだから、一度振った飛車をもとの位置にもどした。すると意外にも相手は考えこんでしまった。おやっと思って盤面を見ると、こちらの陣形がのびのびしている。しかも飛先に鋭い狙(ねら)いが生じている。自分でも好手であることがわかった。その対策がめんどうである。「なるほどねえ……」有段者である相手は、考えながら、ゆっくりと呟(つぶや)いた。こんなのが、ナルホドであると思う。

 相手がいるときにのみ使う「はい」「ええ」「そう(なん)ですか」などに対して、「なるほど」は本を読んでいるときなど、独り言でも使えるという違いがあります。独り言に使う「なるほど」が相手との会話において、感心する気持ちが強いばかりに、思わず漏れ出る。こんなふうに考えれば、上記の引用文で山口が挙げる例文の雰囲気がうまく捉えられます。文脈から察するに、「有段者」(段位を有する人)は声の出し方、身ぶり手ぶり、顔の表情などによっても感心する様子を表現しているはずです。文献には、声や身ぶり手ぶりは現れません。文献に出てくる用例を扱う際には、こういったことにも気をつける必要があります。

 「なるほどなるほど」(繰り返し形)と「なるほどです(ね)」(丁寧形)の場合、「なるほど」のときに声の出し方などによって表しえた「感嘆(感じ入る気持ち)」が失われ、「納得(十分に理解した)」という特徴が前面に出るため、「なるほど」を好まない人にとって抵抗感の強い表現となります。先ほどの山口の例で言えば「(なるほど)ねえ……」の部分が重要だということです。そして目上の人を相手にして用いる「なるほど」が問題になりやすいのは、知識・経験を豊富に持つと予想される立場が上の人が、自分よりも立場が下の人に対して指導的立場から新しい情報を提示するという場面において、「はい」や「ええ」であれば、話を聞いていることが丁寧に表され、「そう(なん)ですか」であれば、驚き、感じ入る気持ちが表されるのに対し、「なるほど」の場合は「納得した」ということだけが表され、少しはあってもよかろうにと期待する「感嘆」がそこに感じられないことに目上の人がいらだちを覚えるからでしょう。

 「なるほど」の使用が相手の心を傷つける結果になりうることにも目を向ける必要があります。御厨(2002)ではカウンセリングの場を例にし、相談者のことばに対してカウンセラーが「なるほど」を使うと「自分の体験がおよそ普遍的な現象の一つと受け取られた」と思い、相談者が傷つくと述べています。さらに御厨は「なるほど」が「ほう」や「そうですか」に比べると、語り手の話を逸早く理解したことを示し、「自分にはもうわかりました。それで?」という含みを与えやすいと分析します。

 ここまでの話をもとにして、最後に「なるほど」の使用上の注意点をまとめます。

「なるほど」は人によって好き嫌いが分かれる。
別の言い方で受け答えができるなら、それに越したことはない。
「なるほど」を使いたい場合、話に感じ入る気持ちを表すために使っている、ということが相手に伝わるよう気をつける(意図的に使う「なるほど」)。
深く感じ入る気持ちが意図せず「なるほど」ということばとなって口から漏れ出た場合は、声の出し方や表情がしるしとなり、真に感嘆の気持ちから発せられた「なるほど」であることが相手に伝わり、不快感を与えることがない(非意図的に使う「なるほど」)。

参考文献
御厨貴(2002)『オーラル・ヒストリー』中央公論新社

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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