たとえば自宅に入ってきた不審人物に「泥棒!」と叫んだり、母親に「お母さん!」と呼びかけたりするように、単独で名詞を用いることがあります。用例を一つ示します。
正代の恐怖は絶頂に達し、そして彼女は「泥棒!」と悲鳴をあげた。その泥棒という言葉にも特別な意味はなかった。火事とか泥棒という言葉以外に、火急をつげるとっさの語彙が、彼女にはなかったのだ。
(高橋和巳『邪宗門』)こういう、一つの語だけで文として成り立つものを一語文と呼びます。ここではヒト名詞(人を表す名詞。「じんめいし(人名詞)」とも)に関して、一語文として使う可能性のある語の種類を検討します。
上記のような名詞の使い方は、感動詞の使い方に相当します。つまり、名詞が感動詞のように使われる現象として扱えます。まず、一般的な感動詞の分類を確認します。
このような感動詞の使い方に対応する名詞があるかどうかを考えてみると、前述の「泥棒」は、①に相当し、「お母さん」は②に当たります。⑤相当の名詞はなさそうです。「課長!」と呼びかけ、「おはようございます」などと言うのは、「課長!」が呼びかけの感動詞に相当すると考え、②の例となります。あいさつには、それ専用のことばを使います。
次に③です。「はい・いいえ」のように、肯定・否定といった内容を持つヒト名詞はありませんが、②の呼びかけに対して答える場面で名詞が使われるということはあります。たとえばアニメからの例で恐れ入りますが、『機動戦士ガンダムZZ』(1986)の第3話に「いもうとよ→おにいちゃん」というやりとりが出てきます。(現代の)実社会では、名前を用いて、たとえば「えみこ→おにいちゃん」というように、「いもうと」と終助詞の「よ」をさける方法がとられやすいことでしょうが、受け答えのほうの「おにいちゃん」は、使用可能であり、「先輩」「お母さん」「お父さん」など、いろいろな名詞が同じように使われます。名詞の代わりに、名前を当てはめることも可能です。ただし、呼びかけに使えるのは、上位の立場を表す名詞に限られるため、「後輩」「息子」「娘」「弟」「妹」を単独で呼びかけおよび受け答えに使うことはできません(鈴木孝夫氏(1926~2021)の著作を参照)。「娘さん」のように単独の形でなければ、呼びかけに使うこともあります。
「お」や「さん」「ちゃん」、「課長」の「長」などが丁寧さ、あるいは、上の立場として相手を遇する意味を表すのに対し、「弟」や「妹」には、「お~さん」「お~ちゃん」の形式を用いようという発想が日本語には育たず、また、「後輩」「部下」では、丁寧さ、尊重すべき立場といった意味が感じられないため、その語を使って相手を呼ぶという慣習が成り立つことがなかったようです。「後輩!」「部下!」と呼びかけられて気分のよい人もいないでしょうから(自分がされてうれしくないことをほかの人にすることもない)、臨時的に試みたことは過去にあったかもしれませんが、一般化はしていません。
上位の立場を表す名詞は、呼びかけのほかに、「先輩?」というように、先輩かどうかが暗くて、または顔が見えなくて明らかではない場合など、確信は持てないものの、その人物ではないかと推量する場合に用いられます。あるいは、不可解な行動や常識外れの行動をとった相手に向かって「先輩!」と口にすることもあります。そのあと、「やめてください」や「どうしたんですか」といった文が続くことにより、具体的な内容が示されます。
それでは④に該当する名詞があるかどうか。ないと言ってもよさそうですが、あえて近いものを探すなら、相手に対するいらだちを表す際、「あのなあ」などと感動詞を用いるのと同様、「ヤマダ(山田)ー」のように、相手の名前を伸ばして発音するという方法があります。驚きあきれて、「カチョー(課長)」(ーの部分が長く発音される)または「センパーイ(先輩)」などと使うのが普通名詞の例となります。
ここまでで全体的な概観は終わりました。以下には、①と②のうち、いくつか特筆に値する名詞を取り上げます。
大学の授業などで学生に単独で使えるヒト名詞の例をあげるよう促すと、「天才」「美人」「イケメン」または最近であれば「神」という語がヒト名詞に準ずるものとしてあがります。驚き、称賛を示す「天才」は、会話の場で、ほかの人が思いつかないようなすぐれたアイデアを出した人に対して、(ややふざけた気分で)褒めたたえる場合などに使います。辞書の記述にある「生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能」(『明鏡国語辞典 第3版』)のうち、読点の後ろ側の部分だけが活性化されている用法と言えます。「天才」に対して「秀才」は「①学問・才能が人並み以上にすぐれた人」(同上)のことですが、現実には「こつこつ努力する」という語感が強いようです。それゆえ、その場でとっさにすぐれた行動がとれる人については、「天才」は使いやすくとも、「秀才」は使いにくいという結果が生じます(「秀才!」を使うという人も皆無ではない)。
冒頭にあげた「泥棒」のように、家庭の安寧を脅かす存在の場合はどうなるでしょうか。泥棒かどうか明らかでない場合に「泥棒?」と言うことはなさそうです。「おい、泥棒」のように勇気のある人は、呼びかけの用法で使うことはあるでしょうが、一般的には驚きの用法が現れやすいと考えられます。いくつか類語で考えると、包丁・ナイフを持って近寄る相手に向かって「人殺し」とは叫びますが、「強盗」とは叫ばなそうです。目の前に迫ってきた相手が「暴力を振るうが殺しはしない人間」であるかどうかについて、襲われる側がとっさに判断するなどということは非現実的です。それゆえ「強盗」には一語文の用法が一般的ではありません。なお、犯人としては、殺すつもりはなかったが、「人殺し」と叫ばれ、そう認定されてしまったから、ついカッとなって殺したというケースもありそうです。
「泥棒」は「泥棒! 金を返せ」というように、泥棒めいた言動をする相手へのののしりのことばとして使うこともあります。ののしりの用法は、「人殺し」「詐欺師」「ペテン師」「わからず屋」「酔っ払い」などの名詞にも備わります。
「泣くがよい。悲しみなきは人にあらず」と開祖は申されました。「薄情者!」と娘はののしりました。
(高橋和巳『邪宗門』)電車の中などでは、「チカン」が叫び声として用いられます。「チカン」は見知らぬ相手(犯罪性が高い)に、「スケベ」(「エッチ」とも)は知っている相手(犯罪性が低い)に使うというのがおおよその使い分けです。「変態」は、路上で露出狂に出くわした際にも、知り合いがおかしな行動をとった際にも使える便利なことばです。
「店長!」「監督!」「コーチ!」とは言っても「店員!」「選手!」とは言わないという区別ができ、店員、選手に対して店長や監督は、「○○さん」「○○君」などと呼びかけます。では、店員、選手の側が店長、監督に「○○さん!」と呼びかけることは許されるでしょうか。
相手とそれなりに親しくなれば「○○さん」も可能であるというのが一般的ではないかと思われますが、「○○さん」ではなく、役職名で呼ぶべきであるという考え方もありそうです。特に「先生」という語は、このことを考えるうえでヒントになります。先生と親しくなったとしても、「○○さん」とは言いにくいという強い制約を持つからです。本来は、教え教わる間柄の場合に使う語でしょうから、教師と生徒・学生、師匠と弟子、医師と患者といった間柄であれば、「先生」を「○○さん」に優先することは理解できます。弁護士と依頼人の場合も、法律的知識の豊富な弁護士から依頼人が助言を得るということで、医師と患者に近い関係と言えます。しかし、国会議員のような立場の人に「先生」を使うとなると、誰が教わる側とも言いにくくなるため、本来の意味を拡大して、単に上位の人物には「先生」で呼びかけるという道がひらけることとなります。1993年4月15日の「読売新聞」によれば、「議員会館のアナウンスが「先生」を使い始めたのは、衆院は昭和三十六年から、参院は五十八年から。それまでは「さん」だった。「国会議員をさん付けするのは失礼だ」との匿名投書がきっかけ(議会事務局)」とのことです。これは、今も通用する考え方でしょうか、筆者には疑問に思えます。中には、参議院議員の青山繁晴氏のように、国会議員は国民の「代表」ではなく「代理」と考える人もいます。「先生」と呼ばれないと、へそを曲げるという態度をとる前に、「権力、とくに政治権力は、本来、文化に奉仕するものです。文化発展のため、文化創造のためのサーバント(奉仕者)なのです」(中曽根(2017))ということばを熟読玩味すべきではないでしょうか。
理屈から言えば「~さん」でよいはずなのに、現実には、それが難しくて「先生」や「部長」を使うことになる悩みは、志村ほか(1962、p.5)に詳しく述べられています。司会が「インタビューなどで相手を呼ぶ場合に、「先生」ということばが出やすいのじゃないですか。そういう点の使い分けといいますか、この点はどうでしょう」と述べたのに対して、参加者の面々は、次のように答えています。
これを参考にすると、「「先生」に限らず、上位であることを表す役職名がある人物を呼ぶ際は、その役職名を「○○さん」に優先するのが無難」という法則めいたものが見いだせ、相手との関係が深まったり、または、相手から「○○さん」でよいと言われたりしてから、そちらに切り替えるというのが現実的な方策です。もっとも、今まで「○○部長」と呼んでいたのに、「○○さん」でよいと言われたからといって、急に呼び方を切り替えるのも抵抗があり、そのまま「○○部長」と呼び続けていたところ、いつのまにか、その人の定年退職により、強制的に「○○さん」に変更せざるをえなくなり、呼ぶ側も呼ばれる側もなんだか落ち着かないという話も時折、耳にします。その役職にいた時間が長ければ長いほど、このようなことになりがちです。「社長」「会長」と呼ばれていた人も病院や高齢者施設では、「○○さん」で呼ばれることを考えると、人は誰しも、早いうちから「○○さん」で呼ばれることに慣れておいたほうがよいのかもしれません。
道端でタクシーを止めようとする。その時に「ヘイ、タクシー」の「ヘイ」は英語風だということで「タクシー」とのみ言うとします。乗り物自体ではなく、運転手に向かって言っているため、ヒト名詞に準ずるものとして扱えます。「バス」「トラック」「パトカー」などに同様の用法はないので、「タクシー」は特別です。しかし考えてみると、「タクシー」と呼んでも、運転手に声が届くとは思えません。身ぶり手ぶりが大事であり、声は、あってもなくても効果は大して期待できない添え物といったところです。あるいは、呼びとめる人が口をあけているのを運転手が「タクシー」と呼んでいると見なしてくれることを期待する用法と解釈することもできます。
知り合いどうしの場面では、「店員」「社員」「選手」といった、上位という要素を含まない名詞は使いませんが、「店員」は、単独で使われる場面がありそうです。それは、個人として、その店員を知っているわけではない客の側からのいらだちを伴う呼びかけとしての使用です。たとえば「(おい、こら)店員!」というような使い方です。相手が自分のことだと気づかなければ、「おい、そこのおまえだよ」などということばが続くことにもなります。
なお、「店員さん(ちょっと来て)」のように「さん」をつければ、呼びかけ語として使いやすくなります。「社員」「選手」には出てきにくい用法です。「駅員」にも「駅員さん!」という用法があります。ほかに「おまわりさん」が慣用的な表現として存在します。
「「坊や、大きいな」と声をかけ」(村松友視『北の富士流』)のように、年少者を表す名詞を呼びかけに使う場合があります。「ぼっちゃん」「ぼく」「少年」(「少女」は不思議と用例を見つけにくい)「小僧」「(お)じょうちゃん」「おじょうさん」なども同様です。年少者を対象とした犯罪の残酷さが世の中に知られるようになったことなども背景となって、ヘタに子どもに声をかけると、不審者扱いされてしまうのではないかと心配になり、注意するのも手助けするのもためらわれるという、お年寄りからの嘆きを耳にします。世の中の状況が変われば、使いやすい時代が来ないとも限りませんから、ここでは「衰退」ではなく、子どもに年少者を表す名詞で呼びかけること自体が制限されている時代という意味で「抑圧」という用語で表現しておきます。
以上のような一語文における使用の有無は、国語辞典や文法書には、あまり載っていません。上記のような事柄について、細かく調査し、結果を辞書などに反映することができれば、その記述内容が今よりさらに充実したものになると期待されます。
参考文献
尾上圭介(2014)「一語文」『日本語文法事典』大修館書店
志村正順、藤倉修一、今福稔、小林利光、鈴木文弥、八木治郎(1962)「放送用語とアナウンスメント・テクニック(その2)」『文研月報』12-4
中曽根康弘(2017)『自省録』新潮社
中川秀太
文学博士、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。