日本語クリニック

 「水鳥」は、「みずとり」か「みずどり」かという問題です。それぞれの語形におけるアクセントも検討を要します。「水鳥」は「鴨かも・鶴つる・白鳥など、水上や水辺にすむ鳥の総称」(『新選国語辞典 第10版』)です。本題に入る前に簡単にアクセントの説明をします。日本語の標準語のアクセントは、単語ごとに決まっている音の高低のことです。たとえば「 フィ ●● リピン」「ス イン」などは太字部分が高い音を表し、細字が低い音を表しますので、それぞれ高低低低、低高低低という高低の組み合わせとなります。高低の起伏があるということで、このタイプは起伏式のアクセントと呼ばれます。一方「イ ギリス ●●● 」や「ブ ラジル ●●● 」は低高高高という組み合わせであり、音の下がる部分がありません。これは平板式のアクセントと呼ばれます。

 ここから「水鳥」について考えます。清濁のゆれは、以前から問題になることがあり、菊谷(1984)には、NHKにおける扱いが述べられています。

海鳥・旅鳥・山鳥などは「ドリ」と濁るが、「水鳥」はふつう「ミズトリ」である。辞書類も「ミズトリ」を採るものが多く、NHKのとりきめもそうである。

 この記述のあと、アンケートの結果をもとにして、有識者に「みずとり」が多く、学生に「みずどり」が多いことが述べられます。このようなゆれは現在でも続いています。たとえば先日、ある時代劇ドラマを見ていたところ、登場人物の俳優とナレーターが「み どり」と発音したのに対し、ドラマの舞台となった場所の説明を行うアナウンサーは「み ずとり ●●● 」と発音するという出来事がありました。語形のみならずアクセントもゆれていることがわかります。

 上記のことをもとにして、次のことを以下で考察します。

人はふだん「み ずとり ●●● 」という語に接する機会があるのかどうか。
なぜ「み ずどり ●●● ・み どり」が広がったのか。

 まず①について。学校で『平家物語』を学ぶときなどに富士川の戦い(1180年、平氏と源氏の戦い)の場面に出てくる「水鳥」の語を目にして「み ずとり ●●● 」を覚えるのではないか、読みがなが「水鳥」についているのではないかと推測しました。しかし複数の日本史の教科書を確認してみると、富士川の戦いの記述はあっても「水鳥」は記されていません。山川出版社の『日本史用語集 改訂版』(2018年)には「 富士川 ふじがわ の戦い」の説明の中に「夜襲の気配で飛び立つ水鳥の羽音に驚いて」とありますが、読みがなはありません。次に『平家物語』の作品内ではどのように扱われているのか、それを知るために岩波書店の文庫版(2008年)、日本古典文学大系(1959年)、新日本古典文学大系(1991年)などを見ましたが、「水鳥」には語形が示されていません。『平家物語 まんがで読破』(2012年、イースト・プレス)という作品では、「避難」や「煮炊き」には読みがなが付されていますが「水鳥」にはありません。難読ではないと判断されたようです。

 以上のことからわかるのは、日本史や日本文学を学ぶ際には「み ずとり ●●● 」に接する機会が乏しいということです。朗読作品などで「み ずとり ●●● 」を覚えるという人がいれば貴重です。『平家物語』にふれることがなくとも、日常生活で「水鳥」を使う機会が多ければ、耳から語を覚えることが期待できますが、「カモ」や「ツル」は、その名前を呼ぶのが一般的であり、総称の「水鳥」を使う必要性が低いのが現実です。それゆえ口伝えに「み ずとり ●●● 」を習得する可能性は低くなります。文章の中で「海のように広がる湖面すれすれに飛ぶ水鳥の群れに目を見張ったり」(『カーサ ブルータス』2022年7月号)というように用いられることがありますが、語形情報はありませんから「み ずとり ●●● 」にはたどりつきにくいでしょう。

 次に②について考えます。語形に関しては「う どり(海鳥)」や「や どり(山鳥)」が濁音であることに引っ張られた可能性があります。「海」「山」が濁音だから「水」も濁音というようにです。NHKでは、それまで「み ずとり ●●● 」のみであった記載が『NHK日本語発音アクセント新辞典』(2016年)では「み ずとり ●●● 」に加え「み ずどり ●●● 」が「許容」として載るという形に変更されました。アクセントは清音の場合と同じということです。しかし先ほどの時代劇の例にもあるように、実際に発音される音を聞いていると、現在では「み どり」が多く耳に入ります。これはなぜかというと、語形だけでなく、アクセントも「海鳥」「山鳥」に合わせようという意識が働くからです。

 以上のように、「水鳥」の語形・アクセントが変わる、それなりの理由があることがわかりました。ただし筆者としては、「水鳥」が「海鳥」「山鳥」と足並みをそろえなくてもよい理由も、あわせて考えてみたくなります。よく知られていることとして、鼻音(鼻から息が出る音)の「ん」に続く場合に連濁が起こりやすいという現象があります。動詞で説明すると、助詞の「て」をつけた際、「書いて」「受けて」のように「ん」がなければ「て」は清音のままですが、「読んで」「飛んで」などは濁音の「で」となります。「海鳥」「山鳥」の場合、[mi][ma]というように間に母音が入りますから単独の「ん」とは異なりますが、[m]という鼻音がすぐ前にあることは確かです。「水鳥」の「ず」には鼻音はありません。それゆえ、鼻音のある「海鳥」「山鳥」は「どり」と連濁するが、「水鳥」は鼻音がないから清音のままでもおかしくない、と考えることとします。歴史的事実として、そのような要因により「水鳥」が清音であり続けたとは主張しません注1。そうではなく、現代人が「み ずとり ●●● 」という言い方が伝統的・標準的な言い方として存在することについて注2、自分自身を納得させるための便法としては使える、ということです。

 先に述べたように、一般に文章の中で「水鳥」は難読ではない語と捉えられて、語形が示されることがありませんが、清濁がゆれていること、また音読みの「す いちょう ●●●● 」があることも考えると、使用に当たっては読みがなをつけたほうがよさそうです。

 例外的に語形がしっかり示されている作品があります。それは『万葉集』です。各社から刊行されている『万葉集』巻19-4261の歌(天武天皇をたたえる歌)には、読みがなが添えられているので、現代人が歌を味わう際に助かります。アクセントはわからないにしても、清濁の部分は、読みがなを頼りにして迷わず清音で読むことが可能です。最後に歌の本文を記して今回のコラムを終わります。

大君 おほきみ は神にしいませば 水鳥 みづとり のすだく 水沼 みぬま を都と成しつ

『万葉集5』2015年、岩波文庫

大君は神にしませば 水鳥 みづとり のすだく 水沼 みぬま を都と成しつ

『万葉集4』2009年、角川文庫

注1 母音を挟んで「と」の前に鼻音が存在しない語であっても、「都鳥」「千鳥」「夏鳥」などは連濁しています。

注2 京阪地方では「 みず ●● とり」(高高低低)と発音されます(『日本国語大辞典 第2版』)。

参考文献 NHK放送研究部(2001)「放送用語委員会(東京)用語の決定」『放送研究と調査』51-4
菊谷彰(1984)「「発音のゆれアンケート」から」『放送研究と調査』34-6

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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