栃木県のある駅に降り立ったときに、立ち食いそばの店の看板に「
旧国名と別称は、『岩波国語辞典 第8版』の「旧国名地図」で確かめます。まず、別称に言及する高島(2008、p.104)から要点を引用します。
武蔵国、相模国などの国名の一字に「州」をつけて「武州」「相州」などと呼ぶものである。大多数は「一字目に州」だが、近江の「
まず「~州」のない地域を対象から外します。該当するのは、今の北海道と沖縄県です。次に、「~州」が現在の県(都道府も含む総称として使います)のレベルよりも大きな範囲を表すために、一つの県の呼び名としては使えない場合です。陸奥、陸中、陸前、岩代、磐城を含む奥州や、羽後、羽前を含む羽州(秋田と山形)、越後、越中、越前を含む越州、丹後、丹波を含む丹州(京都と兵庫)、備前、備中、備後を含む備州、といった地域です。同じタイプのものとして、もうひとつ武州があります。現在の東京と埼玉の大部分および神奈川県の東部に相当します。現在の東京と埼玉の住民の間に見られる、さまざまな意識の差を思うと、ともに武州、武蔵であるという意識が共有されにくいのが実情です。東京の場合を考えると、武蔵に対して武蔵野市、武蔵境、武蔵小金井といった地名から、中央線の沿線の場所という感覚で捉え、東京の先祖は江戸というふうに、漠然と考えている人が多そうです。実際には、江戸の範囲は、現在の東京の範囲よりもずっと狭い地域に限られます。
次に、一つの県の中に複数の別称(ないし旧国名の地域)が含まれる場合を見ます。たとえば磐城には、奥州のほかに磐州という呼び名もあります。現在の福島県ですが、福島県には磐城のほかに岩代も含まれ、県を磐州で代表させるわけにはいきません。同様のものを以下に掲げます。
壱州と対州についての用例を一つ示します。
○壱岐の勝本港に寄って、船が対馬に向かい出すころから、厳原生れの小野君は急に「対州人」となって、ことばのはしばしに壱岐に対する対抗意識を露骨に示した。「壱岐は……」とは決していわないで「壱州なんかは……」と必ずいうのである。壱州なんかは四里四方しかない。対州はずっと大きいぜ。
池田(1980、p.351)ひとさまの土地をこのように言うことはよいこととは思いませんが、ついつい人はこういうことを口にしがちではないでしょうか。
上記の一覧の中で、越中(富山)の場合、旧国名であれば一つの県に相当しますが、「~州」は、越州という広域地名になるので県レベルの語としては使えないというように、旧国名と別称とで指す範囲が異なります。肥州に肥前と肥後が含まれ、県の別称に肥州が使えない熊本も同様です。
また、歴史的な理由もあり、長州という別称をよく目にし、長州イコール山口と意識されていそうですが、山口県には防州(周防)も含まれるので、事実と意識とにズレが見られます。
やや性格が異なるのは、大分県と佐賀県です。大分は、豊後と豊前からなり、豊州という言い方がありますが、豊前は福岡県と大分県の両方にまたがるため、豊州イコール大分県となりません。これは、たとえば岐阜県が飛州と濃州二つの「~州」を含むのとは異なります。佐賀の場合は、肥前の東半部とされる地域に該当し、肥前全体ではないため、県の中に含まれる旧国名は一つに限られますが、それをもって県全体を指すのに「~州」を使うことはできません。
細かく言うと、県と別称の範囲がいくぶんずれる場所に紀州(紀伊)、日州(日向)があります。紀州は、大部分が和歌山県、日州は、大部分が宮崎県に当たりますが、それぞれ三重県と鹿児島県の一部も紀州、日州の中に含まれていたとすれば(日向は、辞書の扱いが微妙に異なります。要検討です)、「~州」を「~県」の意味で使うことに若干のためらいが生まれます。
以上の条件を乗り越え、一つの「~州」が(ほぼ)一つの「~県」に相当するものとして残るのが野州(下野)、上州(上野)、信州(信濃)、甲州(甲斐)、江州(近江)、和州(大和)、讃州(讃岐)、阿州(阿波)、土州(土佐)、予州(伊予)です。このうち、土州は、薩摩同様、旧国名の土佐が目立ちます。阿州には阿波踊り、讃州には讃岐うどん、伊州には伊予かんといった、旧国名を含む非常に有名なことばがあります。もっとも、こういったことは、全国的に見た場合に旧国名が目立つことの理由であって、地元で「~州」を使うことを妨げるものではありません。実際に、これら四国の「~州」を含む会社名などがその地元には存在します。個人的な直感で「県名に鼻音が複数ある場合には「~州」を使いたくなる」という仮説を立てます。すると、グンマ、ヤマナシ、ナガノがこれに該当し、太字部分が鼻音で発音されます。さらに、「長野」の「が」を鼻濁音で発音すると、3拍とも鼻から息が抜ける音となり、粘っこさといった印象が生じる可能性があります(シナノの場合は2拍分が鼻音)。そこにシンシューという[s]のオトを含む呼び方を用いれば、さわやかな印象につながります。長野県の道路などに見られる「さわやか信州」という表現の背後にも、そういうオトについての感覚が生きているように感じます。鼻濁音が当たり前に使われた近代から昭和のころまでの長野の人か、あるいは、登山や避暑に長野を訪れた東京の人あたりが複数の鼻音をさけて「信州」を好んで使うようになった可能性があるかもしれないなと考えています。
最後に、旧国名の後ろ側を用いた別称をまとめて眺めます。該当するのは、野州、濃州、江州、総州、房州、豆州、張州(尾張)、勢州、賀州(伊賀)、賀州(加賀)、城州(山城)、和州、泉州、予州、雲州、作州、芸州、防州、隅州です。賀州は、区別が要るなら加州と伊州となります。上下に分かれるところでは、下野と上野は、野州と上州で区別されたのに対し、下総と上総の場合は、上下は用いず総州でまとめているのがおもしろいところです。そして、伊豆、伊勢、伊賀、伊予のうち、伊州が伊賀に落ち着いたのはなぜか、和泉は、大和に和州を譲って泉州となったのかといった疑問も浮かんできます。京都に前後の要素を用いた山州、城州、雍州(中国の州名に由来)の三つがあるのは、千年の都の余裕でしょうか。前の字を使う別称がない地域に対して、仮に前の字を当てはめてみると、美州(美濃)、近州(近江)、安州(安房)、美州(美作)、安州(安芸)、周州(周防)、大州(大隅)となります。何が美州、安州を妨げたか、大州は普通名詞の「大州(たいしゅう)」と紛らわしいか、周州のシューシューは「シューの繰り返しになり、オトの感じが嫌じゃ」と感じたか、などなど、昔の人が前後どちらの要素を使うかに頭をひねる姿を想像するだけでも楽しい気持ちになります。
参考文献
池田弥三郎(1980)『池田弥三郎著作集10』角川書店
高島俊男(2008)『お言葉ですが…⑨』文芸春秋
中川秀太
文学博士、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。