日本語クリニック

 「母方・父方」は「ははかた・ちちかた」なのか「ははがた・ちちがた」なのかという問題です。題目にある「語形」とは、「ギンコー(銀行)」や「サッカ(作家)」など「個々の語の発音」を意味することばです。

 日本語では、濁点(゛)のあるなしによって、かなの表す音を 清音 せいおん 濁音 だくおん とに呼び分けることがあります。両者を合わせて 清濁 せいだく とも言います。「(鳥の)カラス」と「ガラス(glass)」の「か」と「が」がその例です。それから、たとえば「2000年ころ」と言うか、「2000年ごろ」と言うかというように、「ころ」なのか「ごろ」なのかが人によってまちまちであるという現象のことを語形のゆれ、さらに、ここで取り上げている問題に限るならば、清濁のゆれと呼びます。ある個人の発音が清音と濁音でゆれている(どちらも使う)ということもあります。

 さて、ここから「~方」の語の話に進みます。国語辞典あるいはアクセント辞典などを見ると、表記や語釈の前に語形が載っていますが、そこには「ははかた・ちちかた」はあっても、「ははがた・ちちがた」という言い方は載っていません。したがって、たとえば子どもや外国人学習者に日本語を教える場合であれば、清音の言い方を教えるのがふさわしいということになり、これで話はおしまいです。

 しかし標準語として、どちらの語形がふさわしいのかという話ではなく、実際の発音として行われているのは清音のみなのかという疑問に対しては、濁音で発音している人もそれなりにいるという答えとなります。テレビやラジオで見聞きすることもあります。以下には、ゆれの存在がうかがえる書きことばの例を一つ示します。

なぜ、横浜に親戚がいるかといえば、私の母の母(つまり、 母方 ははかた のお祖母さん)の姉さんが、明治時代の きん の橋と呼ばれた橋(つまりは鉄橋)を盛り場の入り口にかけるイギリスの技師と結婚してしまったので、いやでも、そういう親戚が横浜にいるのだ。

小林信彦『日本橋に生まれて』2022年、文芸春秋

 この用例には、ルビ(読みがな)を使っている箇所が二つあります。後半の「金」のほうは、「かね」と読まれる可能性もありますから、「きん」とルビをつけることによって、それを防いでいます。ではどうして「母方」にルビが必要だったのでしょうか。一般的に誰もが「母方」を清音で発音しているのであれば、使われている漢字も簡単なものですし、ルビをつける必要などなかったはずです。おそらく、小林氏(あるいは編集者)は、世の中では「母方」が濁音で発音される傾向があることに気がついていて、ルビがなければ作品中の「母方」も清音ではなく濁音で読まれてしまうと危ぶんだのではないでしょうか。この推測が正しいならば、ルビの存在が語形にゆれのあることの傍証となります。

 以上を踏まえたうえで、以下では、どうして濁音による発音が行われるのか、それは異常な発音なのかという観点から考えることとします。

 まず「母方・父方」の「方」に注目すると、これは「サイド(side)」「側(がわ)」「方(ほう)」の意味を表すと言えます。したがって、これと同じ意味を持つ「~方」という語を調べてみれば、何かわかるかもしれません。「書き方」「着方」など「方法」の意味の「~方」では常に清音であり、「かきがた」「きがた」などと発音されることはありません。また「あなた方」「先生方」など尊敬の意を示す「方」は常に「がた」と濁音で発音され、「かた」とはなりません。ですから、以下では「サイド」の意味に限って「~方」の清濁を見ていくことにします。

 「サイド」の意味を持つ「~方」であり、発音のゆれが生じている語として「相手方」があります。多くの辞書では「あいてかた」という清音の発音しか認めていませんが、「「あいてがた」とも」(『大辞林 第4版』)というふうに、濁音を第2候補として掲げる辞書もあります。『NHK日本語発音アクセント新辞典』(2016年)では「アイテカタ、アイテカ゜タ」のように、第2の読み方として濁音を認めています(゜は発声のときに口に加えて鼻からも息が出るガ行の鼻音いわゆる鼻濁音を表す記号です)。NHKのアクセント辞典に濁音の発音が示されるようになったのは、1966年の版からです。それまでは「あいてかた」のみが記載されていました。以上のことから、従来は清音のみであった語において、濁音が徐々に認められていく事例があることがわかりました。そうすると「母方・父方」に濁音の発音が加わったとしても不思議ではなさそうです。

 さらに語によっては、濁音しかないということもあります。「相手方」と類語の「敵方」がその例です。古くからある語ですが、辞書には「てきほう」という音読みと、「てきがた」という訓読みで載っていて、「てきかた」という清音の発音は記されていません。これと似ているのは、「源氏方(げんじがた)」「平家方(へいけがた)」という言い方です。これらは「げんじかた」「へいけかた」とは言わないようです(ただし古代の発音は不明です)。

 「敵方」の対義語は「味方(みかた)」ですが、こちらは清音のみが行われ、「みがた」とは発音しません。「味方」はもともと「みほとけ」「みこころ」などと同じ接頭辞(接頭語)の「み」と「方」がくっついた語であり、当て字表記として「味方」あるいは「身方」と書かれるようになった語です。当て字の影響もあってか、一般には「み+方」の語であるとは意識されにくくなり、「味方」全体で「敵」とペアとなる対義語というように感じられるようになったのでしょう。「敵方」は濁音で発音するから対義語の「味方」も濁音で発音しよう、ということにはならなかったようです。

 以上の話を整理すると、「サイド」の意味を持つ「~方」という語の語形には、以下の3種類があることになります。

A
清音のみ:味方
B
濁音のみ:敵方
C
清濁のゆれがある:相手方

 「母方・父方」の場合は、伝統的な発音は清音であり、これまでAに該当する語として理解されてきたわけですが、現代の実態としては濁音の発音が加わり、Cに該当すると言えます(注)。「相手方」のような前例があり、「サイド」という意味の条件も満たしていますから、今後、国語辞典などに採用されたとしても異常なことではないでしょう。

実際の発音としては、果たして清音と濁音のいずれが優勢なのか、また今後どのように推移していくのか、気になるところです。

(注)

ただし伝統的にとは言っても、それは辞書の扱いなどから言えることであり、明治時代や江戸時代に「ははがた・ちちがた」という発音がまったく行われていなかったのかどうかははっきりしません。文献に漢字で「母方・父方」と書かれている場合、読みがながなければ、その発音はわかりませんし、かなで書かれていたとしても、古い時代の日本語では、発音は濁音だと想定される語であっても、濁点がついていないということが少なくないからです。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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