「~川」のしこ名は嫌がられる
相撲の力士の名前つまり「しこ名」(四股名・醜名)には、「双葉山」や「玉の海」など「~山」「~海」のものが少なくありません。近年は、「山」を音読みした「松鳳山」「武将山」といった名前も目立ちます。古いところでは明治時代に13代横綱の「鬼面山」がいました。
では表題の「川」はどうかというと、現在ほとんど見かけません。なぜか。36代目・木村庄之助(1948~)の『大相撲 行司さんのちょっといい話』に次の記述があります。
以前は、相撲の神様と言われた「幡瀬川」、横綱「男女ノ川」(34代)、「藤ノ川」(前・伊勢ノ海親方)といった力士がいましたが、現在、十両以上の関取で、「○×川」のように、川の字のついた四股名の力士は1人もいません。少し前まで、幕下に「透川」というモンゴル人力士がいました。なんでも、ウランバートルに、「TOHRU RIVER」という川があって、それをもじって付けた四股名らしいのですが、最近になって改名してしまいました。残念でなりません。「川」は流れてしまうという意味で、縁起がよくない、などと言われることがあります。しかし、私個人としては、この透川のように、郷土の川の名前にあやかるような四股名は、応援してくださってる故郷の人たちにも喜ばれると思います。また、自分の故郷のPRにもなります。そういう意味では、見直されてもいい文字なのではないかと思っています。
「~川」は濁音が一般的ですが、「藤ノ川」のように例外的に清音の場合もあります。戦後に活躍した力士には「前田川」や「浅瀬川」がいます。年寄名跡には「安治川」「入間川」「小野川」「境川」「湊川」「武蔵川」などがあります。これらの名前があることを念頭に置くと、現在「~川」が好まれないのは、縁起を担ぐとの理由だけによるものではなさそうです。ライターの岡村直樹氏は「関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?」(現代ビジネス(インターネット)、2022年9月28日)という記事の中で次のように指摘します。
明治以降、近代化(工業化)が進むと、川の汚染が始まり、戦後になるとその傾向は加速し、昭和40年代、高度経済成長期に入ると、川は汚れ放題に汚れ、炭団そこのけの黒い色を呈するありさまとなった。縁起を担ぐ力士たちは、このていたらくに敏感に反応し、故郷の川名を己が四股名にいただくことに二の足を踏んだのであろう。
白井(1997)にも「汚染」ということばで川の汚れが指摘されていました。
相撲を担当する記者が言う。昔は男女ノ川などがいたが、いま「川」のつく醜名は見当たらない。汚染、流れる、などという連想から川は印象も縁起もよくないらしいのだ。
これは1995年7月15日に朝日新聞の天声人語に「洪水」と題して載ったコラムからの引用です。「縁起」に加えて「印象」の悪さも「川」をさける原因となったようです。
発想の転換
しかし、現在は有志の人々による自然保護の活動が実を結び、昔と比べて川はきれいになりました(いつから川をきれいになってきたのか、その詳細については、ここでは述べません)。「魚が戻ってきた」という声を聞くこともしばしばです。「川」がしこ名に使える時代が戻ってきたと考えられます。縁起に関しては「勝負の流れ」を比喩的に川のようなものだと捉え、その流れを支配してやるとの意気込みを込めた名前として「~川」を使うというような発想の転換を試みてもよいのではないでしょうか。ちなみに、日本相撲協会の公式マスコットキャラクター「ハッキヨイ!せきトリくん」には、「ひよの山」「赤鷲」などと並んで、「めがね川」というキャラクターがいます。現実のしこ名に「川」を使うきっかけになりうるでしょうか。
ここからは、新たに「~川」の名を作ろうとしたときの名前の候補を検討します。「~山」を例にすると、命名法には「栴檀は双葉より芳し」に由来がある「双葉山」のように、地名と関係のないことばと「山」との組み合わせによる場合と、「栃木山」など「地名+山」の場合と、「黒姫山」(新潟県出身)などしこ名全体が固有の山を表す場合とがあります。
「~川」のしこ名の可能性
以上を前提として「~川」の場合を考えます。「双葉山」をまねて「双葉川」とするとか、国技館の近くに育った力士に「両国川」のしこ名をつけるとかいったやり方が思いつきますが、以下では「地元の川の名前」をしこ名とする可能性について重点的に考えます。川の名前を確かめるために、『大辞林 第4版』(アプリ版、以下『大辞林』とします)の後方検索機能を使い、数百の川の名をチェックしました。それらの川について、以下の観点から眺めます。
- ①
- 拍数:「~川」は、しこ名全体として5拍、4拍のものが一般的です。
- ②
- 文字数:「男女ノ川」は例外として、3文字、2文字に収まるものが一般的です。
- ③
- 表記:「常用漢字表」(2010)の範囲で書けて読める字であれば、読みやすく難読のしこ名ではないとします。
- ④
- 同音語:同じ名前の川が複数の県にあれば「どちらの県の川か」というように地元であるとの認定がしにくいと考えます。
- ⑤
- 所属:複数の県にまたがって流れる川の場合、いずれがその川をしこ名に用いるかということで摩擦が生じる可能性があります。
たとえば「鏡川」は「高知県の工石山に発し、高知市内を流れ、浦戸湾に注ぐ川」(『大辞林』)とあるので、上記の条件を満たします。3文字の川には何かしらの難があり、すべての条件を満たす語がなかなか見つかりません。その中で「有田川」は「有田」を「ありた」と読み間違えそうになる恐れを置いて考えれば、高野山に源があり紀伊水道に注ぐ川であるため、終始、和歌山県で完結します。大きな川の支流、部分名でもよしとすれば、「岩手県南西部を流れる北上川の支流」「京都盆地を流れる桂川の中流」(いずれも『大辞林』)である「衣川」「木津川」は岩手や京都の出身の力士のしこ名に使えます。
いくらか条件を緩くすれば、候補となる川は数多くあります。6拍の「夕張川」、表外字を含む「有栖川」(京都)、4文字になる「五十鈴川」(三重)、というふうにです。ただし④の例「犀川」には、長野県と石川県に別々の川を指す名として存在するので、どちらの県の出身力士の名前としても用いないほうが穏やかな行き方かもしれません。⑤も難しい問題ですが、源は複数県にまたがるとしても、流域がそのうちの1県に限られるのであれば、暗黙の了解として、流域の県の力士に「~川」が使いやすいと考えることができるかもしれません。流域が複数県にまたがる場合は、しこ名に使わないというのも手ですが、あえてその名を冠して、流域のすべての県の人たちに応援してもらいたいからであると説明するのでもよいかもしれません。隣県どうしが仲よくするきっかけになるかもしれません。
いろいろ難しさがあることを考えると、北海道と沖縄の力士は、他県と陸地で接していませんから、「~川」を使うのに他県より有利な条件を有しています。それに準じて、島を持つ県にも、島の川が使いやすいとの利点があります。もっとも、まずは「~島」のしこ名をつけようという意識が働くかもしれませんが。
今後、いろいろな「~川」のしこ名が現れることを願います。