日本語クリニック

 『新聞用語集2022年版』を見ると、2007年版にはなかった「くり」の見出しがあり「栗―甘栗、栗毛、栗ようかん、桃栗三年柿八年」の用例が挙がります。「栗」は「人名用漢字別表」にはありますが、「常用漢字表」にはない漢字です。では新聞が「栗」の字を採用したことの意味するところは何でしょうか。それを考えるために、以下では「当用漢字表」(1946)、「当用漢字音訓表」(1948)、「当用漢字音訓表(改定)」(1973)、「常用漢字表」(1981)、「常用漢字表(改定)」(2010)という戦後の各漢字表において、動植物名を表す漢字がどう扱われてきたのかを検討します。なお以下では漢字の音(おん)はカタカナ、訓はひらがなで書きます。単語の読みはひらがなに統一します。

 「当用漢字表」時代は「動植物の名称は、仮名書きにする」という原則が立てられました(「使用上の注意事項ホ」)。ただし以下の漢字は、基本的なものとして採用されます。

音訓 桜 牛 鶏 鯨 犬 蚕 漆 松 象 桑 竹 豆 桃 稲 豚 馬 梅 麦  米 麻 羊 柳
音のみ 菊 茶(「チャ」の音。「当用漢字音訓表(改定)」で「サ」が追加される)
訓のみ 芋 蚊 芝

 「牛乳・闘牛」や「鯨飲・捕鯨」の熟語を持つ「牛」「鯨」など、音読み熟語を作る能力のある漢字であることが採用のための一基準となりました。「犬歯」「馬力」の「犬」「馬」のように、動物以外の事柄も表す漢字は特に重要とされます。「犬」があって「猫」がない理由はここにあります。

 その後、数十年の時を経て「常用漢字表」が公になります。「当用漢字表」には漢字の「制限」の色合いが強いとされますが、「常用漢字表」は漢字使用の「目安」を示したものであり、漢字制限の性格は薄まります。漢字の数は「当用漢字表」の1850字に95字が追加されて1945字となりました。それに伴い動植物名を表す漢字もいくつか加わりました。音訓ともに入ったのが「猿」「蛍」「蛇」「猫」「竜」、訓のみが入ったのが「杉」です。「犬」があって「犬猿の仲」「犬猫」の「猿」「猫」がないこと、また「松並木」の「松」があって「杉並木」の「杉」がないことなどに不満の声が出たようです。「猫」の音「ビョウ」には「猫額大(せまいこと)」「怪猫(化け猫)」といった熟語がありますが、日常語・一般語とは言えません。「ビョウ」採用の背景には、「愛犬・愛犬家」が書けて「愛猫・愛猫家」が書けないのは不公平だというような意見があったと推測します。

 2010年になると、196字を追加、5字を削除し2136字となった「常用漢字表(改定)」が告示されます。「亀」「虎」「蜂」「藍」は音訓ともに、「柿」「熊」「鹿」「鶴」「梨」は訓のみが採用されました。「柿」「鶴」「梨」には「熟柿(じゅくし)」「鶴首(かくしゅ)」「梨園(りえん)」といった音読みの熟語がありますが、用途が狭いためか、「常用漢字表(改定)」に「シ」「カク」「リ」の音は採用されませんでした。しかし新聞などではこれらの熟語を使う場面がないわけでもなく、また「熟し」「かく首」「り園」などの交ぜ書きに抵抗があるということから、『新聞用語集2022年版』では読みがなつきで用いることにしています。

 ここで冒頭に挙げた「栗」のことに戻ると、おそらく「柿」や「梨」に対する処理の延長線に「栗」の字も位置づけられると考えます。「柿」「梨」の漢字が使いたいと考える立場からすると、かな書きよりも漢字表記の「柿」「梨」に、その果物の味わいなどを喚起させたり、「牡蠣」「無し」との区別を可能にさせたりする力があるという発想になります。さらに、音読み熟語は乏しくとも、「柿渋」「柿の種」や「青梨」「洋梨」といった訓を用いた熟語があることから、造語力もあると見なすことにもつながります。そうすると、「栗」もかな書きより漢字で書くほうが意味が通じやすく、訓読みの熟語もあるから採用するということになるのは自然な流れです。そして新聞が「栗」を使うようにしたということは、いずれ「常用漢字表」が改定されることになった際には、「栗」が追加候補となる可能性が高いことを意味します。なぜなら過去には、たとえば「柿(かき)」や「鶴(つる)」を新聞用語懇談会(新聞・放送・通信が加盟する)が独自に使用することに決め、2010年以前から読みがななしで使っていたというような事例があるからです。

 では、今後「常用漢字表」が改定されることになった場合、「栗」以外のどの漢字が追加候補となるでしょうか。まず考えられるのは、新聞・放送などで独自に採用している漢字です。現在、新聞・放送ともに「鶏(とり)」という訓を独自に用います。「常用漢字表(改定)」には「ケイ・にわとり」のみが載りますが、「とり」があると、「鳥肉=鳥の肉(一般的)」、「鶏肉=にわとりの肉(限定的)」というように書き分けられる利点があります。「鶏が鳴く」という場合に「にわとり」か「とり」かわからなくなりそうですが、「にわとり」は動物名としてかな書き(カタカナ表記)することとし「鶏」の字は使わないのに対し、鳥全般の場合は「鳥」を使う、というふうにすれば、「鶏が鳴く」という表記は現実には現れず、「ニワトリが鳴く」「鳥が鳴く」というような書き分けが成り立ち、読解上の問題は生じないと考えられたのかもしれません。

 それからNHKが使う「鵜(う)」も候補となりそうです(『NHK漢字表記辞典』を参照)。訓のみですが、「蚊」と同じく1拍しかないため、かな書きでは語が特定しにくいという難があります。それを解消するために「鵜」が使われます。ただし「うのみ」のように動物の意味から離れた用法の場合は、かな書きとなっています。

 以上のほか、地名に使われる漢字も追加希望が出そうです。「常用漢字表」の前書きには「この表は、固有名詞を対象とするものではない」と記されていましたが、「常用漢字表(改定)」では「この表は、都道府県名に用いる漢字及びそれに準じる漢字を除き、固有名詞を対象とするものではない」という表現に変わりました。「茨城」の「茨」と「栃木」の「栃」が「都道府県名に用いる漢字」として採用されています。この「都道府県」という範囲が「市町村」まで拡大されないという絶対の保証はありません。「三鷹市」の「鷹」や「燕市」の「燕」など鳥を表す漢字のうち、地名に用いられるものが問題となりそうです(「鷲」や「鷺」も)。

 ほかに候補となりそうなものを三つ挙げます。一つは「栗」と形が似る「粟(あわ)」です。人名用漢字としては、すでに採用され、「粟飯」「粟餅」などの訓の熟語があります。「粟粒結核」などに使われる「ゾク」が必要とされるのかどうかはわかりません。五穀のうち「米」「麦」「豆」に加えて「粟」が入るとなれば、あともう一つ「稗(ひえ)」も欲しいという声が起こるのかどうか、これも予測はしにくいところです。「ひ」という誤読が生じそうです。

 それから「冬瓜」や「真桑瓜」に使う「瓜(ガン・うり)」、この漢字も候補になる可能性があります。音訓ともに身近なことばの表記に用いられることを考えれば、「粟」よりも希望者が多いかもしれません。

 残る一つは「蛾(ガ)」です。「蚊」と同じく1拍語ですから、「ががいる」「ガが出る」という文字列は安定性を欠きます。漢字のつくりから読みは「ガ」だと判断できるので誤読はなさそうであり、また、「蚊」と区別するうえで便利であるということで、追加を希望する声が出ても不思議ではありません。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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