日本語クリニック

 前回の「母方・父方」と同じように「サイド」の意味を持つ「~方」の例として、相撲で使われる「東方・西方」があります。勝負する力士が東西に分かれ、それぞれ「東方の力士・西方の力士」というふうに呼ばれます。伝統ある世界のことばなので、語形(発音)は安定していそうですが、実際には清濁についてのゆれが存在します。まず一般の国語辞典、アクセント辞典でそのことを確認します。

  • ひがしかた・にしかた(『日本国語大辞典 第2版』)
  • ひがしかた・にしかた(「にしがた」とも)(『精選版 日本国語大辞典』)
  • ひがしかた・にしがた(『大辞林 第4版』)
  • ひがしかた・にしかた(『大辞泉 第2版』)
  • ヒカ゜シカ゜タ・ニシカ゜タ(『新明解日本語アクセント辞典 第2版』)

 「方」を「かた」とするのか「がた」とするのかについて、辞書によって違いがあることがわかります。「カ゜」の「゜」はガ行鼻音いわゆる鼻濁音(発声のときに口に加えて鼻からも息が出るガ行の鼻音)を表します。

 では、相撲界および放送では、どのような扱いになっているのか、次にそれを確認します。

  • ひがしかた・にしかた(『相撲大事典』)
  • ヒカ゜シカ゜タ・ニシカ゜タ(『NHK日本語発音アクセント新辞典』)

 『相撲大事典』は、相撲関係者にとっての標準を示す辞書であり、『NHK日本語発音アクセント新辞典』は、(NHKの)放送関係者にとっての標準を示す辞書です。したがって、力士・親方は清音で発音し、アナウンサー・記者は濁音(鼻濁音)で発音するのが標準的だということになります。確かに両国の国技館で相撲を見たり、ラジオで相撲中継を聞いたりしていると、そのような区別があるように感じます。二三の相撲関係者に尋ねてみたところ、清音で発音するとのことでした。相撲に関する文献に現れた例としては、次のものがあります。

  • 東方 ひがしかた 力士は赤房下、 西方 にしかた 力士は白房下で四股を踏む。
     (高橋義孝・北出清五郎『大相撲案内』1979年、グラフ社)

 以上のように、相撲関係者か放送関係者かという立場の違いにより清濁にも違いが見られるというのが現状のようです。

 ところで、東西で扱いの異なる辞書があることには、何か理由があるのでしょうか。過去のNHKのアクセント辞典を用いて検討してみます。

 最も古い1943年のアクセント辞典には「東方・西方」は記載されていません。1951年の版から見出しが立てられ、「ヒカ゜シカ゜タ・ニシカ゜タ」と濁音で立項されます。1957年には『放送用語参考辞典』(日本放送協会)という辞書が刊行され、ここでは「ヒカ゜シカ゜タ 東方 すもう用語。×ヒカ゜シカタ」と「ニシカ゜タ 西方 すもう用語。×ニシカタ」という扱いになりました。はっきり濁音に統一し、清音を廃するという宣言であると読み取れますが、このあとに出た1966年版のアクセント辞典では「ヒカ゜シカタ、ヒカ゜シカ゜タ」と「ニシカ゜タ」というように、「東方」のみ清音を採用し、それを濁音に優先する扱いとなっています。清音派と濁音派の間で何かしらの意見の対立があったのかもしれません。あるいは10年ほどの間に方針に変化が生じた可能性もあります。次の1985年版では、再び「ヒカ゜シカ゜タ・ニシカ゜タ」のみとなり現在に至ります。

 相撲界では伝統的に清音で発音されてきていて、濁音の採用はNHKの事情によるものだと仮定します。1951年のころはラジオの時代ですが、現在ほどその音質がよいわけではありませんから、清音より濁音のほうがよく聞こえるという判断が放送現場にあったのかもしれません。ただし「東方」については、一語の中に濁音が複数あると、「清+濁+清+濁+清」という並びで清濁を切り替えなければならず(しかも単なる濁音ではなく鼻濁音)、それがおっくうに感じられて「ヒカ゜シカタ」が採用されたとの見方ができます(「ヒカ゜シ」を「ヒカシ」と言うわけにもいきません)。鼻濁音が衰退しつつある戦後の日本においては、「ヒカ゜シカ゜タ」の発音は、発音する人にとって、かなりの負担になるので清音が出やすかったのではないかと思われますが、東西で清濁が異なるのは異様なことであると考えて、濁音で統一することに戻したものと推測します。

 以上に見てきたことが正しいとするならば、「東方・西方」は、相撲界と放送では、それぞれの分野においては語形が統一されていることになります。ただし、両方の発音を聞く好角家(相撲ファン)にとっては、どちらが正しいのか気になることもあるでしょう。これについて本コラムでは、互いの世界で統一がとれているのであれば、業界をまたいだ形での統一は、今のところは要らないというように結論します。業界ごとに若干の発音の違いがあるというふうに理解すればいいと判断するからです。したがって、たとえば外国人学習者に「東方・西方」の語形を問われた場合には、相撲界の発音をとるなら清音、放送の発音をとるなら濁音というふうに指示して、いずれも誤りではないと教えることができます。一般の人は、好きな親方に合わせて清音で発音するか、好きなアナウンサーに合わせて濁音で発音するかすればよいというように考えます。いくぶん専門的な語ですから、教師の個人的な感覚でどちらの語形が「標準」「普通」といったことを軽々しく判断しないほうが安全です。

 ただ、今後のこととなると話は別です。互いに相手からの影響を受けて、相撲関係者が濁音で発音しがちになる、またはアナウンサーが清音で発音しがちになるというようなことが生じたならば、それはつまり、業界ごとの統一が崩れたということを意味しますから、いずれの語形に統一すべきか、どちらの語形を優先すべきかということについての議論が必要になってきます。その際は、これらの語を使う専門家すなわち力士・親方などの相撲関係者と相撲担当のアナウンサー・記者とが真剣に議論して決めてくれればよいと思います。

 呼び出し(取り組みの前に力士の名前を呼ぶ役割の人)による館内放送を聞いていると、「ヒガシガタ・ニシガタ」(ここでは鼻濁音の有無は問いません)と発音していることがありますから、自然の流れに任せていると濁音に寄っていきそうな気がしています。さてどうなることでしょう。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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