日本語クリニック

 前回は動物に対し「さん」をつけることについて述べました。今回は次のことを考えます。

「お~さん」の動物の特徴
「お~さま」の動物の特徴
「~ちゃん」の動物の特徴

 最初の「お~さん」の言い方には、具体的には「おウマさん」や「おサルさん」があります。「おウマ」「おサル」という形もあります。ウマとサルに「お」がつく要因について、呉(2010)に「ウマは神社に奉納されて 神馬 じんめ となるし、猿は山王社の使わしめと考えられたから」とあることに筆者も同意します。ただしウマと同じく「神~」の熟語「 神鹿 しんろく 」を持つシカは「おシカ(さん)」とは言いません。人の名前のような印象を受けます。神の使いと見なされることのほかに、ウマは自動車や電車のない時代において、乗り物または農耕・運搬の担い手として大切にされたこと、サルは昔の人の目からすれば、自分たち人間と同じような姿形をした生き物であると感じられたこと、こういったことも「お(~さん)」をつけて丁重に遇する要因となったのではないかと筆者は想像します。

 前回、悪さをする動物として取り上げた「キツネ」は、神の使いとしておそれうやまわれる対象でもあり「おいなりさま」または「おいなりさん」と呼ばれます。本所七不思議について記した宮部みゆき氏(1960~)の作品から用例を示します。「おキツネさん」の形もともに使われています。

緑の茂みの内側には、お稲荷さんが鎮座していました。石造りのおキツネさんの顔などを見ると、かなり古いもののようですが、鳥居の朱の色は真新しい。

『平成お 徒歩 かち 日記』1998年、新潮社

 「タヌキ」が祭られる神社でも「お~さま・お~さん」の形が用いられることがあります。たとえば東京・神田の 柳森 やなぎもり 神社がそうであり、境内にある「おたぬきさん」の由来書きには、江戸時代に大奥の女中が「お狸さま」を崇拝したということと、神社で配る土製のお守り「おたぬきさん」が素朴で人々に愛されているということがともに記されています。畏敬が勝れば「お~さま」、親しみが勝れば「お~さん」という関係です。

 かつて(近世以前)、民衆の信仰対象とされていたオオカミにも「お~さま」の形があります。ただし、それは「おオオカミさま」ではなく「おイヌさま」(「おイヌ」とも)という形をとります。東京都青梅市の 御嶽 みたけ 神社や埼玉県秩父市の 三峯 みつみね 神社が「おイヌさま」を祭る代表的な神社です。日本語の発音として興味深いのは、もし仮に「おオオカミさま」という形をとっていたなら、さぞ発音に苦労しただろうということです。「オオカミ」は通常「オーカミ」というふうに、2拍目を「ゴール」「ホール」などと同じく長音で発音します(「おおかみ・オオカミ」と書くのは「現代仮名遣い」による表記上の決まりに沿ったものです)。「オーカミ」に「お」がつくと全体としては「オオーカミサマ」という発音をしなくてはなりません。それと比べれば、「オイヌサマ」というのは、何と穏やかな発音でしょうか。昔の人が持つ音の感覚に敬服します。

 それでは次に「~ちゃん」の形を持つ動物に話を移します。たとえばウサギのことを「ウサちゃん」というように、顔形や動きがかわいらしい動物に対し「ちゃん」がつくのではないかと推測してみます。すると動物園の人気者であるパンダにも、その資格があり、動物園で「パンダちゃん」と呼ぶ人がいることに気がつきます。レッサーパンダが人気の某動物園に出かけた際、人々がどう呼ぶのかを聞いていたところ、「レッサーパンダちゃん」と呼ぶ人のほかに「レッサーちゃん」と呼ぶ人も確認できました。「パンダ」は、一般にジャイアントパンダを指すため、「パンダちゃん」もジャイアントパンダを呼ぶのに使われます。それゆえ「ジャイ(アント)ちゃん」という呼び方は出てきません。一方、レッサーパンダには「パンダちゃん」が使えないため、「レッサーちゃん」が短い言い方として生み出されました。

 前回扱った「~さん」との大きな違いは、その動物をかわいがる、慈しむ気持ちがあるときに、大人が大人どうしの会話にも「~ちゃん」を使うという点です。これは、子ども(およびその保護者)が主な使用者である「~さん」とは異なります。

 最後に、もっとも日本人にとって身近な存在だと言えるであろうイヌとネコ、この2者の呼び方を検討します。イヌには「イヌちゃん」の形がなく「わんちゃん」と呼ばれ、ネコには「ネコちゃん」の形があります。「わんちゃん」の「わん」は、イヌの声を模した語です。以下に「わん」とネコの鳴き声を表す「にゃん」の関連語をまとめて示します。

  • イヌちゃん(不使用)|わんちゃん|わんわん|わんこ|わんこちゃん
  • ネコちゃん|にゃんちゃん|にゃんにゃん|にゃんこ|にゃんこちゃん

 イヌに「ちゃん」をつけると「ぬちゃ」という音の連続が生まれますが、このようにナ行の音にチャの音を続けると「にちゃ」「ねちゃ」など粘りつくような印象が出ます。一方「んちゃ」のほうは「けんちゃん、しんちゃん、あんちゃん、らんちゃん」など、人の名前の愛称として多用されます。ならば「わんちゃん」にしようという気持ちが働いたとしてもおかしくなさそうです。

 「わん(こ)ちゃん・ネコちゃん」の特徴は、これらがよそのうちのイヌ・ネコを指すのに使える点です。ふつうは自分のうちのイヌ・ネコには名前がついているので「わん(こ)ちゃん・ネコちゃん」は使いませんが、よそのうちのイヌ・ネコについては「お宅のわん(ネコ)ちゃんはいくつ(何歳)ですか」のように用いられます。「お宅のイヌ(ネコ)はいくつ(何歳)ですか」よりも柔らかい表現になります。そして特に「わん(こ)ちゃん」について注目されるのは、イヌを指す「わんわん」「わんこ」が幼児語であり、「わんちゃん」についても『大辞泉 第2版』のように幼児語と明記する辞書があるものの、現実には「わん(こ)ちゃん」は大人にも用いられるということです。ネコの場合は「にゃん(こ)ちゃん」に幼い響きを感じるなら「ネコちゃん」を選ぶということが可能なのに対し、イヌは「イヌちゃん」が使いにくいため、「ちゃん」づけするなら、「わん(こ)」を使わざるをえない事情がもととなり、「わん(こ)ちゃん」は単純に幼児語という扱いでは済ませられない存在となりました。

 近世以前の人と比べ信仰心の薄くなった現代人が新たに「お~さん」「お~さま」を生み出すことはないでしょう。それに対し「~ちゃん」は、本コラムで扱った動物に限らず、その使用が広がる可能性を持っています。たとえば「コアラちゃん」という言い方をする人がいるようにです。鳥など哺乳類以外の場合も含めた形で「~ちゃん」の広がり具合を確かめたいところです。

注 オオカミ信仰については、小倉美恵子『オオカミの護符』(2011年、新潮社)に詳しく書かれています。なお江戸時代の生類憐れみの令で有名になった「おイヌさま」という言い方は、イヌそのものに対する敬称であり、オオカミを指す「おイヌさま」とは別物です。

参考文献 呉智英(2010)『言葉の煎じ薬』双葉社

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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