議論の場では、質問という行為が不可欠です。以下では、主に日本語学における筆者の経験をもとにして、学会、演習(ゼミ)、打ち合わせなど公の場における質問行為の注意点を考えます。登場人物は、話し手(発表者)と聞き手(質問者)です。
たとえば、㋐情報不足の部分があること、㋑説明のしかたに問題があること(ことば選びなど)、㋒発表に関連した取り組むべき課題があること、などについて発表者に気づかせる質問はよい質問です。
一方、よいとは言いがたい質問も存在します。それについて、以下で検討します。
円滑なコミュニケーションを目的として質問を行う場合の注意点としては、何があるでしょうか。番号を使って項目別に示します。
「その言い方はいつからあるんですか」「ほかにどんなものがありますか」といった質問をする人がいますが、話し手がいつからということを問題にしていない場合やわかる範囲ですべてを述べている場合には、これらの質問をされても困るばかりです。ほかにこういうものがあると返答をするために、あらかじめ発表者が出し渋りするということでは健全な発表行為とは言えません。「いつから~」「ほかに~」といった、考えずにできる質問をするということは、発表に興味がないという印象を与えることにつながります。どうしても聞きたい場合は、「いつから」「ほかに」を問う意義を説明すべきでしょう。
「質問が思いつかないから感想を言います」という人もいます。これには、㋐話に興味がない場合、㋑話に感心した場合、の二つの動機が考えられます。「あとで質問します」などの断りを入れれば、㋐と誤解されることは防げるでしょう。
学会などでは、発表者が返答に窮すると、みずからが用意していた答えを(長々と)述べる人がいます。持論を披露するために質疑応答の場を利用しているということです。自己主張したければ、自身が別の場で発表すべきです。
同じく学会での話です。ある名誉教授の方が講演をし、それに対して、ある研究者が「きょうのお話とは関係がないかもしれませんが、私(わたし)はこういうことをやっています。○○について、何か教えていただけませんか」と質問しました。その場で聞くべき事柄ではないと筆者は感じました。関係がないかもしれないとの自覚があるなら、質問しない、という判断をすべきです。どうしても質問したければ、懇親会などの場で2人きりの時間がとれたときに聞くのがオトナの態度です。その機会もないようであれば、まずは自分で答えを探し、考えたことを発表すべきです。手当たりしだいに人に聞けばよいというものではありません。「それについて私は知りません。申し訳ありません」と丁寧に返事をした講演者が気の毒でなりません。勉強になる話であったにもかかわらず、心ない質問者のひと言によって、会が台なしになってしまったという印象を受けました。
答えられない可能性が高いと予想できるにもかかわらず、意地の悪い質問をするのもよくありません。発表者に反論したいから、質問を装って、へりくつを言うというのも厳禁です。
⑤⑥に相当する質問に対して、発表者が「すみません、わかりません」などと答えると、それに質問者が「わかりました」「だいじょうぶです」と応じる場面も見られますが、むしろ謝るべきなのは、そのような質問をした質問者です注。
「~ということでよろしいですか(よろしいですね)」という形を用いて、話し手が「結構です」と答えるのを期待して質問する人がいます。謎や疑問と呼べる何かがあって、その答えを知りたいという純粋な気持ちからではなく、相手が自身の言うことに同意するか否かを確かめるためだけに聞く感の強い質問は、品のよいものではありません。後述する、質問の「聞き方」の問題事例として扱うこともできます。質問の内容にも尋ね方(態度)にも難ありということです。
質問内容がはっきりせず、話し手が聞き返さなければならない質問、または、話し手が、ご質問の趣旨はこういうことでしょうかと翻訳しなければならない質問は望ましくありません。コトバ足らずで質問の意図がわからない場合もあれば、質問に使うことばが長すぎて意図が伝わらないという場合もあります。まずは質問者自身、何が聞きたくて、それを聞くために、どんなことばを選べばよいかがわかった段階で尋ねるようにすれば、発表者の負担が軽くなります。
「○×ですか。なぜ聞くかと言うと~」というように、尋ねた理由を添えると、話し手が答えやすくなります。西江(2020、p.199)に、大学生が言語学の教師に「日本語と中国語は関係がありますか。この二つは同じ系統に属す言語ですか」と質問し、教師が「そんな質問をするな。日本語と中国語はまったく関係ない」と答えたとのエピソードが載っています。これについて西江は「新聞や書物を見ると、そこには中国語から手に入れた漢語が多く混入していることに気づいているので、中国語と日本語には何か関係があるのではないかと気になっている」と説明しています。学生が「新聞や~」以下の内容を少しでも言い添えていれば、教師も誤解することはなかったことでしょう(その教師は、何か政治的な意図でもあって、学生がそういう質問をするのかといぶかしがったのかもしれません)。
以下では、質問のしかたについて記します。
具体的には「~じゃないんですか」が問題含みの形式です。「○○ということでしたが、××じゃないんですか」などと使われますが、「××じゃないんですか」は聞き手の主張部分(不平不満など)であり、「××だと私は考えます」と言えばよいことです。疑問形の「~じゃないんですか」を使うことにより、話し手に対して、その主張の取り下げを迫る言い方となります。私的な口論の場であればともかく、公的な場でそれはNGです。なお、たとえば同窓会の参加者が幹事に「先ほど、来年の同窓会は、4月の最終週、28日の金曜日に行うとおっしゃっていましたが、最後の金曜日は29日じゃありませんか(29日じゃないんですか)」というように、単純に話し手の誤りを指摘し、修正を求める場合には、「~じゃないんですか」も有効に機能します。「んですか(のですか)」の形式に押しつけ、強調の気味があるとしても、指摘の内容がありがたいものであるため、言い方に対する悪い印象が中和するようです。
「ネットで見たことがある」「誰かに聞いたことがある気がする」というふうに、不確かな出典をもとに質問されると、話し手は、どのように答えるべきか悩むこととなりますから、やはり相手に対する負担という観点から控えるべき尋ね方です。
ここでは、質疑応答の応答について簡単に記します。返答の際は、素直に誠実に答えること、知っているふりをすることやウソをつくことはなく、知らないことは知らないと答える、という気持ちが肝要です。もし調査不足であれば、謝るという行為も選択肢の一つですが、明らかに質問者に悪意が感じられる場合には謝罪は要りません。
注意点は、㋐論点をずらさないこと、㋑あいまいなことを言わないこと、㋒質問に質問で返さないこと、などです。㋒に関し、御厨(2011、p.111)の指摘を見ます。
取材をしていて質問に質問で返してくる人がたまにいる。「どうお考えです?」と聞いているのに「先生はどう考えます?」と私に返してくるのだ。私はオウム返しの質問には言葉を濁したり、冗談でごまかしたりして絶対に答えないようにしている。
今風の言い方としては「逆に○○さんはどう思いますか」という、「逆に」によるオウム返しがあります。質問に答えにくいという気持ちはわかりますが、このような返答をすると、よけいに印象が悪くなります。ただし質問者の側に問題がある場合(悪意がある、しつこいetc.)には、オウム返し(逆質問)に意味があります。第55代横綱・北の湖(1953~2015)の指摘が参考になります(北の湖(1985、p.131))。
一般論としての「心技体とは何か」という問いを満足させるのはむずかしい。わからないものは、わからないのだ。だから「わからん」と答えても、なおしつこく聞いてくる人には、ちょっと意地悪く、「あなたこそ、心技体って何だと思います?」と逆に聞き返していた。
「わからない」と言っているのに同じことを何度も聞くのは芸がないことです。
円滑なコミュニケーションのためには、悪意は不要です。大いに議論を重ね、よい質問とよい返事を繰り返すことによって、発表内容の質の向上を目指すべきです。必要なのは、話し手の説得と聞き手の納得であって、論破と屈服ではありません。
注 小泉(1995、p.150)には「相手が知らないと分かっていることを尋ねたり、こちらが知っていることをわざわざ聞き出そうとするのは、不適切である。ただし、後者の場合は、教師が生徒に対し知識の有無を確かめるときには許される」とあります。
参考文献
北の湖敏満(1985)『もう一歩、前へ出れば勝てる』ごま書房
小泉保(1995)『言語学とコミュニケーション』大学書林
芝本秀徳(2016)『誰も教えてくれない質問するスキル』日経BP社
西江雅之(2020)『ピジン・クレオル諸語の世界』白水社
野口敏(2016)『人を怒らせない話し方46のルール』宝島社
御厨貴(2011)『「質問力」の教科書』講談社
中川秀太
文学博士、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。