日本語クリニック

 ウ音便とは何か、『大辞林 第4版』の語釈を見ます。

音便の一。発音上の便宜のために、語中・語末の「く」「ぐ」「ひ」「び」「み」などが「ウ」の音になる現象。「よく→よう」「思ひて→思うて」「呼びて→呼うで」「頼みたる→頼うだる」の類。一般には、用言の活用語尾に現れるものをさすが、それ以外の場合もある(「かぐはし→かうばし」「したぐつ→したうづ」の類)。


 形容詞に「ございます」をつけたときの「おさむうございます」「うれしゅうございます」なども同様です。
 動詞については、「買う」が「買うた」となるように、関西では多くの動詞においてウ音便が見られますが、標準語の範囲では、動詞のウ音便の現象がほとんどありません。その代わりに「買った」や「思った」のように、促音便が広く見られます。そのため、古典的な文学作品を読んだり、能や狂言のような古典芸能を見たりする場合などを除けば、動詞のウ音便に接する機会がありません。
 先に「ほとんど」と断ったのは、「請う」が「た(て)につづく場合は、「請うた(て)」となる」と記され、「問う」が「た(て)につづく場合は、「問うた(て)」となる」と記される(いずれも『新選国語辞典 第10版』から。以下『新選』)ように、一部の動詞には、ウ音便が「た」「て」の前のところに見られるからです。一つ用例を示します。

のちに箕輪城を陥落させ、長野家を滅亡させた武田信玄がその武芸の腕を見込んで仕官を請うたが、信綱は断った。

『Pen』2023年2月号

 では、「請う」「問う」と同じような動詞は、ほかに何があるのか、促音便で使えばよい動詞の範囲はどこまでか、ということを以下で検討します。

語末に[ou]の母音の連続を持つ動詞

 まず、「請う」「問う」が五段活用の動詞であり、終止形が[ou]という母音の連続であるという共通点に着目し、同じ特徴を持つ動詞を以下に列挙します。

争う、言いつくろう、憩う、いざよう、いとう(厭う)、潤う、追う、負う、覆う、襲う、思う、囲う、通う、競う、恋う、誘う、しょう、背負う、そう(沿う・添う)、そろう、漂う、つきそう、つきまとう、繕う、集う、連れ添う、とう(訪う)、ととのう、におう(匂う・臭う)、似通う、呪う、拾う、踏み迷う、まとう、まどう、迷う、群れ集う、物思う、雇う、酔う、よそう、装う


 「酔う」が「酔った、酔って」となるように、多くの動詞には促音便が起こります。問題は「憩う」「いとう」「恋う」「とう」です。これらの動詞を過去形(タ形)にしようとすると、たとえば「憩う」は「憩った」となりますが、この言い方にはどこか抵抗を覚えます。「恋う」「とう」「いとう」に「た」「て」を続けるとき、何と言えばよいでしょうか。なぜ使いにくいか、「憩う」を後回しにして、ほかの三つについて先に考えます。

「恋う」

 「恋う」は、古風な動詞になりつつあることが、その原因として考えられます。国語辞典には、「なき母を―」(『新選』)、「亡き妻を恋う」(『現代国語例解辞典 第5版』)のような用例が載りますが、「恋しく思う」「恋する」など「恋う」の語釈に用いられる動詞のほうが使いやすく感じます。『岩波国語辞典 第8版』に載る「現代語では「恋い慕う」のような複合語中に使い、単独ではほとんど使わない」との注記は、その証拠となります。したがって、単純動詞としては「恋う」を使う必要性は低く、「こうた」か「こった」かと悩む必要もないとまとめられます。

「とう(訪う)」

 次に「とう」です。「とう」は「問う」と同じ形を持つので、活用も同じであることが予想されます。ただし現在では類義語の「訪れる」「訪問する」などを使うことが多く、「とうた」「とうて」としてよいものか、悩むところではあります。この点について『三省堂国語辞典 第8版』(以下『三国』)では「訪ねる」意の「とう」を雅語(つまり日常語ではないことば)として扱い、「音便の形は「訪うた」「訪うて」」と記しています。文語的な文章を書く場合には、これらウ音便の形にすればよいことがわかるので有益な記述内容です。前述の「恋う」にも同様の記述があります。

「いとう(厭う)」

 もうひとつの動詞「いとう」にも、「音便の形は、ふつう「厭うた」「厭うて」」と『三国』に記されますが、「ふつう」のひと言があるのが「恋う」「とう」と異なります。「恋う」「とう」が2拍であるのに対し、「いとう」は3拍であるため、「呪う」「まとう」「雇う」に対する「呪って」「まとって」「雇って」などと同じく促音便が現れる可能性がいくらか増すという差を考慮したのかもしれません。「恋う」の「こった」「こって」よりは「いとった」「いとって」のほうが相対的にではありますが、違和感が小さいということです。もっとも、「いとう」はウ音便の選択肢があるとは言うものの、「嫌う」「嫌がる」または「いたわる」「大事にする」といった類義語があるため、ウ音便を使うのは自分のことばではないと話者が考えれば、「嫌った」「いたわって」などが優先的に選ばれることになります。

「憩った」を使うか否か

  最後に「憩う」について、同じく3拍の「集う」と比べながら見ていきます。『新選』には動詞ごとに活用形が載っているため、促音便の有無が確認できます。「憩う」と「集う」は連用形に「ッ」という表示があることから、「憩った」「憩って」と「集った」「集って」が使えることがわかります。次に、これらの形が実際に使われているのかどうかを確かめるため、朝日新聞クロスサーチ(朝日新聞の記事が検索できるオンライン記事データベース)を使い、「朝日新聞」「全期間」(1985年から2023年2月6日)「本文」という条件で記事の検索を行いました。その結果、「集う」が21462件、「集った」が3778件、「集って」が1460件であるのに対して、「憩う」は1257件、「憩った」が8件、「憩って」が32件であることがわかりました(すべての用例を目で見たわけではないので、除外すべき用例も含まれている可能性が残ります)。ちなみに「憩うた」は0、「憩うて」は長崎県の地方記事に1件ありました。以上からは、「憩う」には「憩った」「憩って」という形が使用可能であるにもかかわらず、実際に、その形を選ぶ人は少ないことがうかがえます。
 「集う」の主体は、もっぱら人間であるのに対し、「憩う」の主体は、人間でも動物でもありえます。「集まる」が人にも動物にも使われることを考えると、人であることを明示するのに「集う」は便利な動詞です。そして、その人々の動きを「一堂に集った」「集っている」「集ってくる」などと表現します。一方「憩う」には「文語的、詩的な用語」(『例解国語辞典』(1956))という語感があるとされます。「文語的」または「詩的」という語感があると感じる人にとっては、人のことを述べる際の日常語としては「くつろぐ」「休む」「休息する」「休憩する」などのほうが使いやすく、「憩う」の出番はありません。一方、「水鳥」や「渡り鳥」を主体として「憩う」を使う場面は、詩的・文学的な作品などには見られても、一般の人が日常生活の中で使う機会はあまりなさそうです。たとえば川沿いを歩いていて鳥を見かけたら「鳥がいる」とは口にするかもしれませんが、「水辺に鳥が憩う」と口にする可能性は筆者個人にはありません。
 それでは、随筆などに「憩う」を使うという立場の人になって考えるならばどうなるでしょうか。眼前の状況を描写するには「水辺に渡り鳥が憩う」「水辺に憩う渡り鳥」で事足りるので、「憩っている」の形を使う必要性が低く、また、遠方からやってきた渡り鳥が一時的に水辺で休んだという状況をえがきたければ「渡り鳥が羽を休めた」などの表現をするでしょうから、「渡り鳥が憩った」はめったに出てきません。
 以上、ウ音便か促音便か、いずれも使いにくいか、現代語の動詞を対象に、その現状を概観しました。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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