
以前、ドイツ文学者の高橋義孝(1913~1995)が「地酒」について、「辞書を見たら、「その土地で醸造された酒」というとんまな説明がしてあった。どこに空中で醸造される酒があろうか。どんな酒だって、ある土地で醸造されるに決っている」と述べたうえで、地酒とは「ある土地、ある地方で醸造されて、その醸造された酒が同じその土地、その地方で全部はけてしまうような酒」のことであると定義したことがあります(高橋(2024)、元の単行本『飲み食いのこと』は、1976年にゆまにて社から出た)。私は、おもしろい文章を書くなと思いつつも、醸造と書くのは辞書で一般的な書き方だろうか、醸造とあるから焼酎などの蒸留酒は除かれるということだな、そして、辞書では、どのように記述されているのだろうか、といった疑問をいだきました。その答えを以下で書くことにします。
1943年に刊行された『明解国語辞典』では、「その土地で出来た酒」が「地酒」の語釈でした。その後の数十年を飛ばして、一気に2000年以降に出た主な国語辞典で確かめることにすると、次のようになります。
| 辞典名 | 刊行年 | 語釈 |
|---|---|---|
| 新潮現代国語辞典 第2版 | 2000 | その土地で醸造される酒。その地独特の酒。田舎酒。 |
| 集英社国語辞典 第3版 | 2012 | その土地で造られる酒。 |
| 大辞泉 第2版 | 2012 | その地方でつくられる清酒。特に、灘や伏見を除いた地方のものをさす。 |
| 現代国語例解辞典 第5版 | 2016 | その土地でつくられる酒。 |
| 学研現代新国語辞典 改訂第6版 | 2017 | その土地で作られる酒。 |
| 広辞苑 第7版 | 2018 | その土地でつくる酒。いなか酒。 |
| 大辞林 第4版 | 2019 | その土地で生産される酒。その土地特有の酒。 |
| 岩波国語辞典 第8版 | 2019 | その土地で出来る酒。いなか酒。 |
| 新明解国語辞典 第8版 | 2020 | その土地でできた酒。 |
| 明鏡国語辞典 第3版 | 2021 | その地方でつくられる酒。いなか酒。▽特に、灘・伏見の酒に対して言う。 |
| 三省堂国語辞典 第8版 | 2022 | その土地でできる酒。 |
| 新選国語辞典 第10版 | 2022 | その土地でできる酒。 |
| 旺文社国語辞典 第12版 | 2023 | その土地でつくられる酒。 |
| 三省堂現代新国語辞典 第7版 | 2024 | その土地でできる酒。 |
| 例解新国語辞典 第11版 | 2025 | その土地その土地で生産される日本酒。 |
地酒の「地」に相当するのが「その土地」であり、「できる」や「つくられる」に相当する部分は、編者によって補われている部分であることが以上から見て取れます。「その土地」という表現のしかたは、「地(じ)」の項目で説明されていれば、それでよいでしょう。高橋のように、土地か空かまたは地下かということは問題にならず、「その土地」は、細かく言うなら、灘や伏見で作られる大手の酒造メーカーによる酒ではなく、日本各地の非大手のメーカーによって作られる酒ということを言いたいがための「その土地」であると見なします。そのうえで問題になるのは、「その土地」と「酒」のあいだに来る動詞表現、作る主体、それから、「酒」の指す中身の範囲です。ここでは、ツクルを「作る」と書き、「造る」は使いません。
辞書で使われる動詞は、「できる」「作る」「生産する」「醸造する」でした。「作る」のように通常の形を使う場合もあれば、「作られる」のように受け身の形にする場合もあります。まず「できる」は、コメができる、リンゴができるなどと同じく、人が手を加えたものが時間をかけて完成に至るという意味で使われているのでしょうが、一方で、「水たまりができる」など、自然に現れるという意味でも使う動詞であるため、たとえば外国人学習者の立場になって考えるならば、「できる」ではよくわからない、何を察するべきなのかという疑問が生じます。漢語の「生産する」からは、個人ではなく組織によるということがそれとなく伝わってきます。『新潮』の語釈は、髙橋の指摘に酷似します。高橋は、この辞書を手にしていたのでしょうか。「醸造する」であれば、焼酎やウイスキーなど「蒸留する」酒は対象外であることが表せます。
酒を作って売るには、酒類製造免許が必要です。売らずに自分で飲む場合、作り方の比較的に簡単な、どぶろく(濁り酒、濁酒)はもちろんのこと、醸造キット(道具)を使えば、うちにいながら清酒を作ることも可能なようです。では、地酒と称して販売されている酒を作る主体は何かといえば、それは「その土地のメーカー(酒蔵)」です。「その土地で作られる」に個人ではなくメーカーという意味を含意しているということであれば、それは、外国人や酒を飲まない人には通用しない内容です。「地ビール」についての「その土地の小規模な醸造所で作られる生産量の少ないビール」(『新明解』)や「地ワイン」に対する「中小のメーカーにより、その土地で少量生産されるワイン」(『大辞林』)といった記述を「地酒」にも適用しなければならないということです。日本に古くからある地酒については、そんな記述はしなくてもいいだろうと考えているのであれば、「いっそのこと「地酒」の項目を消してしまえ」と毒づきたくなります。『大辞泉』と『明鏡』が意図しているのは、灘や伏見の大手に対して、それ以外の場合を指すのが「地酒」だという意味であり、限られたスペースの中で苦心した様子がうかがえます。もっとも、小型辞書の『明鏡』では、普通名詞の用法があるため「灘」は立項していますが、固有名詞の用法しか持たない「伏見」は立項されていません。スペースが限られていることもあり、小型辞書に固有名詞は基本的に載せません。そういうわけで、普通名詞の「地酒」の説明には必要な情報として使われるものの、「伏見」そのものの見出しはないという結果が生じています。「伏見」は何だとなれば、別のものを見る必要があります。その点、固有名詞を載せやすい中型辞書の『大辞泉』の立場は、気楽なものであるとも言えます。
どの辞書にも「酒」が末尾に用いられています。しかし、「酒」の語釈を辞書で見ると、「①アルコール全般」の意味と「②日本酒」の意味がどちらも載っているのが普通です(どちらを先に書くかは辞書によります)。すると、「酒」と書いただけでは、どちらの意味かわからず、辞書を使う人が「焼酎」「ワイン」「ビール」「テキーラ」などについても「地酒」と呼んでよいと解釈したくなってもおかしくありません。丁寧に書くなら「日本酒」のほうの意味であることを「酒②」といった書き方によって示す必要があります。それから、「日本酒」と書く場合、どぶろくを含むのか含まないのかについての言及も要します。
灘や伏見の酒に対して、レベルの劣る酒というのが地酒に対して従来いだかれてきた語感であるとするならば、昭和の後半になって起こった地酒ブームによって評価の変化が起こったことについて記すことが肝要です。「田舎酒」という言い方から従来の語感は何となく伝わりますが、地酒ブーム以降の感覚は伝わってきません。
国語辞典には、スペースの問題があるため、いくらでも語釈を長く書くということは現実的ではありません。そういう条件があることを理解したうえで、簡潔に語釈を書くなら、たとえば「その土地の{小規模・中小}メーカーが作る日本酒、特に清酒」となり、語感を考慮するなら、「清酒」の後ろに、古くはマイナスの印象があったものの、現在は、酒蔵の個性を示すものとしてプラスに評価されるようになっているといったことを添えることになるでしょう。
参考文献
高橋義孝(2024)『蝶ネクタイ先生の飲み食い談義』河出書房新社
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中川秀太
文学博士、日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部 准教授、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。