
2025年は、クマによる被害が大きな話題になり、「クマ」という語が「大流行」しました。以下では、「クマ」に関連して気になったことをいくつか取り上げます。
クマの標準アクセントはクマです。マの後ろでオトが下がる尾高型です。たとえば、『国語発音アクセント辞典』(1932)、『新辞海』(1938)、『明解国語辞典』(1943、以下『明解』)、それからNHKの『日本語アクセント辞典』(1943)といった辞書を見ると、尾高型のみが載っています。「目の下のくま」の「くま」も同じ発音です。「クマが出た」「くまができる」のように文脈で区別します。ところが、現在はクマという頭高型の発音も行われています。これは、最近出てきたアクセントではなく、すでに1953年には、20人中17人の東京の児童がクマと発音する結果が出ています(満田(1953))。『日本国語大辞典 第2版』によれば、京阪地方のアクセントはクマとあります。関西から東京に移り住んだ人たちによってクマが持ち込まれて広がった可能性が否定できません。あるいは、頭高型のアクセントは、新語など、ものめずらしい存在のことばに付与されやすいアクセントでもあるため、戦後の都会の人にとっては、クマがなじみの薄いものめずらしい動物として受け止められてクマと発音されるようになった可能性もあります。その結果、人名のクマ(さん)と同じアクセントになりました。
頭高型は、「森のクマさん」の影響によるという俗説があります。しかし、楽譜ではクが低くマが高い配置になっているため、歌が尾高型を身につけるきっかけにはなっても、頭高型を使う理由にはなりません。また、クマは「目の下の~」の場合、クマは動物というように使い分けがあるという意見もあります。これは、もともとそういう使い分けがあるということではなく、動物をクマと発音するようになった結果、気づけば「目の下の~」と区別ができていた、というものです。二つの意味を区別するために動物のほうをクマ→クマに変えたのかどうかは確かめようがありません。「クマが出た」と「クマができた」のように文脈で十分に区別がつき、使う場面が重なることもありません。どちらの意味なのか紛らわしい状況が想像しにくいため、区別のためにアクセントが変化したという見方には賛成しがたいところです。
クマのニュースの中で「駆除(する)」という言い方が頻繁に出てきました。私は、「駆除」を使う対象としてクマは典型例・代表例ではないという気がしました。『大辞林 第4版』には「害虫などを追い払ったり、殺したりして除くこと。「害虫を―する」」とあります。『明解』には「おい・はらう(のける)こと」とのみあります。かつては、この程度の書き方を行う辞書は珍しくありませんでした。つまり、「駆除」は「追い払う」の意味で捉えられ、その対象はハエ、カ、ノミなどの害虫が主でした。しかし、追い払う用途を持つもののうち、蚊やりや虫よけスプレーぐらいであれば殺すには至らないものの、蚊取り線香や殺虫スプレーを使う場合は、対象となる虫は死にます。そういったことから、「駆除」に「殺す」の意味が追加されるようになったのでしょう。
害虫に加えて害獣が「駆除」の語釈に記されることもあります。害獣は「人畜に危害を加えたり、田畑を荒らしたりする獣」(『大辞林』)のことです。害獣駆除対策センターのウェブページには、主な害獣としてシカ、イノシシ、ネズミ、ハクビシン、カラス、アライグマ、イタチが載ります。東京の都心部にも出る動物としてはネズミが代表的です。山間地を歩いていると、「イノシシに注意」という看板をよく見かけます。田畑を荒らす動物の代表例という印象です。
クマは、通常「駆除」のことばを当てはめる害虫・害獣と比べて、体が大きく力も強いという差があります。素人が追い払えるような動物ではない、とも言えます。本州にいるツキノワグマの場合、もともとは山の中で静かに暮らしていて、人里におりてくる動物ではありませんでしたが、2025年には食料となるドングリがよく実らなかったことなどが要因となり、食べ物を求めて人里に出るようになりました。クマは、しかたなく山をおりてきました。その点、家の柱にダメージを与えるシロアリや家の中を歩き回るネズミなど「勝手に」家に入ってくる害虫・害獣とは、ずいぶん事情が異なります。そういったことを考慮すると、「クマを駆除」に違和感が生じます。
しかし、各地でたくさんクマが人里に現れるようになったことにより、その地域の人にとっては、ふだんの生活を脅かす、まさに害獣としてクマが意識されるようになります。それを伝えるマスメディアなどの立場では、イノシシよりも手ごわい害獣という扱いになり、「クマを駆除」を使います。日頃、クマを実際に見たことのない都会の人々からは、そういう言い方をするんだな、というぐらいの感覚で受け止められます。私は、「クマを駆除」の使用に反対しているわけではなく、「クマを駆除」が「駆除」の典型例・代表例から外れるメカニズムを明らかにしようという理由でこの文章を書いています。
「駆除」でなく「追い払う」や「殺す」を使えばよいと思う人もいることでしょう。そのとおりですが、「殺す」という直接的な表現はさけたいという意識が報道する側には働きます。「殺害」や「殺傷」は、殺人事件の場合に使うものであり、虫や動物には使いにくい言い方です。そこに「追い払う、その実、多くの場合は殺すこと」という意味を表す間接的な表現として「駆除」が選ばれた、こんなふうに解釈できます。「射殺」も使われるものの、こちらは殺す場合に限定されるため、「いなくなるようにする」という広い意味では「駆除」のほうが便利です。
留学生に日本のよいところは何かを問うと、多くの学生が「安全・安心」をあげますが、去年は、クマがたくさん出て安全・安心という印象にややキズがついたとの声も聞かれました。日本人のほうでは、もう「クマさん」なんて呼んでいる場合じゃないと述べる学生がちらほらいます。ふと「人を襲うことがある動物」に国ごとの差があるだろうかと思い、ネパールから来た留学生に聞いたところ、時々、トラが人を襲うとのことでした。スリランカ人の学生からは、ゾウが人里に出て家屋を踏み荒らすなどして食べ物を奪うと教わりました。それから、アメリカのヒューストンで働いている私のめいによれば、アメリカ南部ではフロリダのワニが有名であり、人が水辺に散歩に出かけた際などに遭遇する恐れがあるそうです。
私が短いあいだ留学していたスコットランドのグラスゴーでは、上に記したどの動物も外で見かけることはなく、山に出かけてもウシやヒツジはたくさんいましたが、クマやオオカミが出るという話は聞いたことがありませんでした。クマやオオカミは、狩猟により絶滅したそうです。それ以外の動物に襲われる可能性がないものか知りたいと考え、グラスゴー在住のアンドリュー・コークヒル氏(私が留学していたときに部屋を貸してくれた人、スコットランド人)に聞いてみたところ、まれにシカが人に向かってくることがある程度だとのことでした。多くの国々について調査を行い、「お国柄」の一覧を作ってみたいものです。
イギリスでは、オックスフォード大学出版局が毎年「ことしのことば」(word of the year)を発表しています。日本には「今年の漢字」があり、「新語・流行語大賞」もありますが、漢字に関係ないことばがその年をよく表す場合もあります。仮に「ピスタチオ」が大いにはやる年があったとして、その場合、「今年の漢字」では対処することができません。また、新語・流行語大賞の内訳を見ると、その年にはやった新しい表現、変わった表現が取り上げられるのが普通であり、「クマ」は2025年の大賞候補にはあがりませんでした。しかし、その年を象徴することばという見方をするなら、既存の単語である「クマ」「コメ」が上位に来てもよいことになります。昔からある普通のことばが何らかの理由でその年によく使われたときに、漢字の有無は問わず、そういうことばを取り上げるためのワクとして「ことしのことば」というものが必要ではないかと考えます。
参考文献
満田新一郎(1953)「アクセントの問題」『国文学 解釈と鑑賞』18-6
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中川秀太
文学博士、日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部 准教授、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。