
以前、放送で用いるのに適しているのは「難度」か「難易度」かと、ある人に問われたことがあります。8年ほど前のことです。そのときに答えとして書いたメモは、どこかになくしてしまいましたので、改めて書き直すことにします。今も、上記の使い分けに悩む人がいると話に聞くからです。
このことに関して、『広辞苑〈第7版〉』では「難度」を「①むずかしさの程度。②体操競技・フィギュア‐スケートなどの採点競技で、技のむずかしさの度合。「F―」」と説明しています。「F難度」のような言い方は「F難易度」とはできません。
他方、一般的に使い方に悩むことがあるとすれば、それは①のほうであり、「難度が高い問題」と「難易度が高い問題」のどちらがよいのかという点は、②とは別に考える必要があります。
結論としては、「難度」も「難易度」も使えるというものです。ただし、どうしてどちらもOKという状況が生じたのかについては詳しい説明を要すると考えます。それが以下での検討課題です。
原則的には「難度」があればよく、「難易度」は不要と言ってもかまいません。通常、対義的な意味を持つ形容詞を名詞にし、物事の度合いを測る際は、程度の高いほう、重いほうを使います。たとえば「~さ」という接尾辞を形容詞につけると、「高さ」「重さ」「長さ」などとなり、「背の高さを測る」「石の重さを計量する」「紙の長さを調べる」といった言い方をします。この場合、「低さ」「軽さ」「短さ」とは言いません。「軽さが魅力のバッグ」など、程度を測るのではなく、単に「軽いこと」を意図して「軽さ」を使うということはありますが、それは、ここで議論している事柄とは別物です。
「~度」も同様です。たとえば「高度」は、海水面ないし地面からの距離の度合いを表します。高い場合も低い場合も「高度」で表現します。「硬度」「深度」「速度」「濃度」「明度」という例もあります。ちなみに、「重度のやけど」「軽度のやけど」というように、「重い」「軽い」に対応する意味で使う「~度」の語もあります。一律に「~度」が何かの度合い・程度の意味を表すわけでもないということです。
「難度」は、「硬度」「深度」などと同じタイプです。「易度」という言い方はありません。ですから、程度のやさしい事柄であっても、「難度」で表現できます。「難易度」でないと、やさしい事柄は測れない、ということではありません。
対義の要素がウチに含まれる熟語において、一方の意味のみが意識されるようになる現象を説明する用語に「 帯 説 」というものがあります。『日本国語大辞典 第2版』では、次のように説明されています。
熟語の二要素が本来相対する意味であるのに、一方の意味を主としてその熟語を用いる場合をいう。「緩」の意がなくなって「危急の場合」の意となった「緩急」、「奪」の意がなくなって「権利などを譲り渡すこと」の意になった「与奪」など。*大言海〔1932~37〕〈大槻文彦〉本書編纂に当りて「帯説といふ事あり。支那にて或語に不用の語を附帯せしめて用ゐることなり」
たとえば、「いったん緩急の場合は」というときに「緩」の意味は生きていません。「急の場合」という意味です。
2010年代のことです。日本語検定の会議があった際、その休憩時間に倉持保男先生(故人、『新明解国語辞典』の編者)が私に「中川君、帯説って知ってるか」とおっしゃったことがあります。私は、漢字か漢語に関する本の中で覚えた用語であったため、例を示して説明しました。それに対して、先生が国語辞典にはあまり載っていないが、なかなか便利な用語だとお話しになったのが印象的でした。辞書にあまり載っていないという状況は今も変わりがありません。専門的すぎると考えられたのか、適用できる事例が少ないと考えられたのか、今も「帯説」を載せる辞書はごくわずかです。
わずかなうちの一つが『新明解国語辞典』です(以下『新明解』)。第8版の「帯説」には次のように書かれています。
字音語の熟語を構成する漢字のうち、対極的な用法を持つ一方が、その文脈においては積極的に意味を持たないもの。例、「緩急㊂」・「恩讐㊁」・「難易㊁」における「緩」・「恩」・「易」。※実際の紙の辞書では、数字は、黒地に白抜き、「恩讐」に読みがな、となっていますが、ここでは、それらの情報は反映させていません。
「難易」のほうを見ると、二つめの意味として「むずかしい程度」とあり、その補足説明として「意味の実質は「難」にある」と書かれています。「仕事の難易による」といった用例とともに「難易度」も示されています。「難度」の見出しもあり、こちらは「〔技能の優劣が問題にされることについて〕むずかしさの度合い。〔体操競技では、下からABC…の順に分ける〕」とあります。「優劣」とあるように、決して「優」のほうのみを問題にするわけではないことが理解できます。
以上によって、『新明解』では、①「難度」という語に対して、「難易度」も認めていること、②「難易度」の存在は、帯説という現象の一つであると考えていること、の二つのがわかります。
どうして「難易度」が生じる必要があったのでしょうか。「いったん緩急の場合」という場合、「いったん急の場合」とは異なる語呂のよさが求められたようにも感じられます。詳しくは、その歴史を調べる必要があります。
「難度」の場合、「難度が高い」のように用いられ、そこに語呂のよさが必要だとも感じられません。ということは、何らかの別の要因を考えなければなりません。可能性として考えられるのは、「何度」という、回数または温度を問題にする言い方の存在です。アクセントは「難度」と同じくナンドです。「納戸」であれば、ナンド ̄であり、「難度」「何度」とは別です。
「何度」は、「何度試しても~」「気温は何度でしょうか」など、文脈上、「難度」とは使い方が異なりますから、区別が難しいということはありません。書きことばでは、漢字によって区別することができます。しかしながら、私たちの心の中には、同音語に対して、それを語形レベルで区別したいという気持ちもあるのではないでしょうか。その具体例が「何度」と「難度→難易度」の組み合わせであると考えてみます。ナンイドという語形を持つ語はほかに存在しません。じゃあ「高度・硬度」は、どうなんだという意見もありそうです。こちらの場合、どちらに帯説を適用するのか、「高低度」とするか「硬軟度」とするか、判断基準がありません。他方、「難度・何度」の場合、「何度」には帯説が適用できません。したがって、語形を変えるならば「難度→難易度」の選択肢しかないと言えます。
本当に、以上のようなプロセスを経て「難易度」が出てきたのかどうかはわかりません。原因が「何度」という同音語の区別にあったと証明することも難しいでしょう。ですから、私が考えるのは、原因ではなく結果または効果です。「難易度」を使うことによって、「何度」と紛らわしいという語形レベルでの問題点(もどかしいというような)が解消されるという効果が認められます。そして、本来の意味を重視して「難度」を使うか、上記の効果を重視して「難易度」を使うか、そこは一人ひとりが判断すればよいと、こんなふうに捉えます。
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中川秀太
文学博士、日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部 准教授、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。